ローカルキーマン

アート2022.03.18

黄金町

自分のまちがどんなまちなのか 暮らす人が胸を張れるまちになってほしい

アーティスト杉山孝貴さん

まちは誰のものなのか。

黄金町の氏神さまとも言える子神社(ねのじんじゃ)。2021年10月のある日、その様子がいつもと違うものとなった。灯りが道を作り、黒い岩のようなものがぽっかりと浮かび上がっている。

これはアーティストの杉山孝貴さんと、地域の住民による『子伝』による企画『子伝の子流し(ねのでんのねのながし)』だ。

地域の伝統文化を輿し、地域の子どもたちにつなげる。その活動の目指すところとはどこなのか。アーティストの杉山さんにお話を伺った。

ずっと「工芸とはなにか」を考えている

「高校から大学と、美術関係の学校に通っていて、いわゆる工芸というものを学んでいました。

今の活動にも通ずるのですが、『工芸とは何ぞや』ということをずっと考えています。今風の言葉にすると、デザインとは何か、という話ですね。

例えば、作品として机を作ると、使ってほしくても『作品だから触れてはいけない』ってなるじゃないですか。そういう意味で、今の工芸は、作品なのか、使うためにあるものなのか、あやふやな部分があると思うんです。僕は使うための工芸、デザインを作りたいというのが大もとにありますね。

まちづくりでも同じ部分があります。システムも、行動も、全部使う人たちのものだということが基本。まちの見た目や数字的なものじゃなくて、使う人、まちに暮らす人がどう思っているのかを一番重要視したいんです」

“ワークショップ”の良い面を活かしていきたい

「出身は東京なんですが、横浜の美術大学に通っていました。横浜に関わることになった大きなきっかけは、越後妻有トリエンナーレで出会ったコーディネートの方でした。横浜でずっと活動されていた方で、トリエンナーレが終わったあとにBankARTでワークショップをやってくれないか、と誘われたんです。そこがまちづくりに興味を持つきっかけだったのかもしれません。

ワークショップという言葉はそのときに初めて知りました。今は、みんなで話し合って何かを作っていく、というイメージですけど、そのときまだ確立されていなかったというか……当時の僕のイメージは、「とにかくまちの人たちが関わって何かすればいいんだ」というものでした。

ワークショップは、自分が関わったことで、自分事になるという感覚が持てるのはすごく良い面ですよね。自分のものではないけど、自分が関わったから、他の人にも勧められる。

例えば、黄金町にみんなで作った作品がひとつしかないとしたら、関わった人全員が誰かに見てほしい、と思う。すると、まちの人たちが『その作品をどうみせればいいのか』って考えるようになるんですよね。そういう関係性になれるのはすごくいいな、と思うんです。

逆に悪い面は『やればいいんでしょ』、『関わりが持てればいいんでしょ』となってしまうこと。『まちの100人の人が関わりました、みんなでやったんですよ』と言いさえすれば、良いことを成し遂げたように見えてしまう。得たものはないのに、きれいごとだけで終わってしまうこともあったのが、僕はすごく嫌でしたね。

だからこそ、ワークショップは何か得られるものがあるように、考えて組み立てなければいけないと思っています。ある意味、ずっと考えている『工芸とは何か』に通じる部分ですね」

アーティストがいるまち、ではなくアーティストが生まれるまちに

「横浜が好きというより、黄金町が好きなんだと思います。

まちも、工芸と同じように昔から伝えられてきて今の姿がある。人の想いがあるからまちは作られてきたんです。その気持ちがちゃんと僕にも伝わっているので、また次の人につなげていきたいですね。

まちのイメージを自分でどう解釈していくか、どのように自分事としてまちと関わっていくか、が大切だと僕は考えています。だから、自分なりに考えて、行動をしていきたい。

その中でまず考えたのは、まちの子どもたちとどう関わるかということです。

僕は、アートのまちとは、『アーティストがいるまち』ではなく『アーティストが生まれてくるまち』なのではないかと思っています。

だから、子どもたちがアートに関わることで、このまちからどんどんアーティストが育っていくと考え、東小学校の学童保育で定期的にワークショップを始めました。

ずっと関わってきてくれた子たちには、やっぱり変化が生まれてきましたね。最初は引っ込み思案だった子も、5~6年やっているうちに『自分はこういうものを作りました』と主張できるようになりました。でも、本当に少しずつですね。一気にたくさんの子どもに変化をもたらすのは難しいかもしれません。

子どもとのワークショップも含めて、『アートがまちの一部になるために、どのように関わっていくべきなのか』はまだまだ考え、実践していかないといけない部分ですね。

アートは一時的なイベントごとが多いので、その時限りではなくて、『どうすれば日常に溶け込むか』というところも追求していきたいです」

1000年続くまちの文化を作っていきたい

「まちに対しては、自分たちで考えて、実現していくまちになったらいいな、と思っています。『自分がこういう作品を作りたいな』とイメージしたものを形にしていくのと同じで、『自分がこういうまちにしたい』と思うことを実現していく。そうすることで、同じように考える人たちが育っていくし、まちの機能としても受けいれられていくのが理想だと考えています。

僕自身がやっていきたいのは、まちの文化を作っていくこと。この地域の鎮守である子神社は、まちの人たちがずっと守ってきた場所なんです。今こうして、この場所で活動をさせていただけているのは、まちの人たちから信頼してもらえているからなのかな、と感じています。

2021年の10月23日から31日の期間には、『子伝の子流し(ねのでんのねのながし)』という伝統行事風のイベントを行いました。まちの人にねずみの形をした絵馬に願いごとを書いてもらい、神社の境内に期間中展示するというものでした。最終日には、ねずみの巣を模した『子の巣』と一緒に、絵馬を灯ろう流しのように大岡川に流しました。『子の巣』は『おむすびころり』からインスピレーションを受けて僕が作ったものです。ねずみの巣の中って分からない。違う世界が広がっているようでおもしろいな、と思ったのがきっかけです。伝承や伝統、工芸など……昔から続いているものが好きなんですよね。

子神社には約1000年の歴史がありますが、これからまた1000年続くようなことができたらいいな、と思います。

あと、まちを代表するアーティストがいてもいいですね。イメージは戦国武将みたいな(笑)

そのまちに行けば誰かがいる、とか、そのアーティストのところにいけばまちのこともわかる、といいな、と思うんです。まちごと、場所ごとの特徴があれば、暮らしている人たちも大事にしようと思うようになってくるかもしれないですしね。

黄金町も、アートのまちを目指すのであれば、住んでいる人たちが自信を持って「ここはアートのまちだ」と言えるようなまちにするべきだと思います。そうやって発信していけば、僕らが何かしなくてもまちはおもしろくなっていくはずです。まちの人たちが自発的に発信していきたいと思えるようになるために、僕はいまここで活動を続けています。」

杉山さんがお気に入りの場所は?

最後に杉山さんにお気に入りの場所を聞いてみた。

挙げてくれたのは日ノ出町駅の裏手にある階段を登り切ったところから見える横浜の景色。

「少し登ると、まち全体が見渡せるこの場所が好きです。よくお散歩がてら来てこの景色をみると、なんだか元気がもらえる気がします。」

杉山さんはこのまちに、長く続く文化を作っていく。

アーティスト杉山孝貴さん

2021年4月まで黄金町エリアマネジメントセンターの職員として、10年以上地域をつなぐ役割を担った。
現在は、地域の活動とアートを融合してまちを活性化することを目指し、自身もアーティストとして地域とアートの接点作りに注力している。