ローカルキーマン

まちづくり2020.09.29

初黄・日ノ出町

ミッションは次世代に繋ぐこと。賑わいを取り戻し、真の自立したまちへ。

初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会(Kogane-X)会長/遊膳グレビーオーナー伊藤哲夫さん

行動した人たちのおかげで今がある。

まだ映画が白黒だった60年代、巨匠・黒澤明は黄金町を舞台に麻薬のまちを描いたことがある。作品のため大袈裟に描かれたとはいえ、60年の時を経て、今や立派なマンションが建ち並ぶこのエリアを見たらどれほど驚くことだろう。

実際この街は、(映画ほどではないものの)通ることをためらうほど治安が悪くなった負の数年間がある。20年前、安全なまちを取り戻すべく決起した人たちの行動力が、今日の平和へと続いている。

当時立ち上がったひとりは、初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会の会長を務める伊藤哲夫さん。日ノ出町で飲食店『遊膳グレビー』を経営する伊藤さんに、協議会が設立された当時の様子やまちづくりに対する思いについて聞いた。

歩けないほど悪化したまちの治安に立ち向かう

「街の環境浄化を目的に協議会ができたのは平成15年、2003年のことです。私自身は若いからずっとこのまちを見てきてましたが、その数年前くらいからまちの様子がちょっと変だなと感じることが多くなってたんです。

日ノ出町2丁目あたりから黄金町に行くと、とにかく雰囲気が良くない。何かおかしいと肌で感じ始めた頃から、いわゆる地上げが始まっていて、雰囲気の悪い範囲がどんどん広がリ始めていました。

地域の子どもたちにとっては通学路でもあるし、大切な住民たちが引越してしまうのも食い止めたかった。当時私は町内会の防犯消防部を担当もしていました。当時の日ノ出町町内会長小林さんと、初黄町町内会長谷口さんが、警察、行政に相談し、地域として防犯対策を検討することになりました。

まずは、我々は反社会勢力に屈しないのだ、という意思表示を行動にするため、地域住民、警察、行政、東小学校、京急、横浜市大、アーティストが一丸となって安心、安全なまちをつくろうとパトロールから始めました。

このパトロールは協議会の原点のようなものです。今でも毎月27日は15時から1時間ほど、30〜40名が参加しています。最近は歩きながらまちのゴミを拾う清掃活動も兼ねています。」

協議会、警察、行政、小学校、青年会、地域や企業も一緒に

「協議会が立ち上がり、当時少し離れた高架下にあった警官の待機所から、正式に両町の間に交番ができました。あれは、土地の持ち主が市に場所提供をしてくれたおかげなんです。

同じ頃、協議会とは別に、日ノ出町青年会でも治安の悪さを懸念して、歳末の夜警をはじめました。今では、『空気が乾燥する冬の季節だから火の元に気をつけましょう』と呼びかけることが中心になっていますが、始めは金品を狙った暴漢などが起きないよう見回りとして始めたことでもありました。

平成17年、2005年には警察によるバイバイ作戦が行われたおかげで、特殊飲食店の経営者たちがまちを去りました。その後、空いた店舗を活用して、アーティストの皆さんに呼びかけ、2008年にはNPO黄金町エリアマネジメントセンターが設立されました。私を含めて、理事は協議会のメンバーとも共通していますが、NPOの役割りとして、場所の貸し出し、施設管理、黄金町バザールの運営など、アートによるまちづくりを推進しています」

課題は賑わい、生業を取り戻すこと

「新たにアートのまちを目指しながらも、前から地元で暮らす方々にだって生活があります。彼らの生業がしっかりと成り立ち、まちに賑わいが戻ることもとても重要な課題でした。実際、アートだけでどうやってこのまちを盛り上げるつもりか、と厳しいお声をいただいたこともあります。

バイバイ作戦で『撲滅宣言』をし、違法飲食店の根絶を目指してから10年を迎えた節目の2015年には、このままもう昔のような街には戻さないことを改めて決意し、まちの皆さんにも安心・安全・賑わいのあるまちづくりへの気持ちを明言するために記念式典で『自立宣言』をしました。

わたし自身の商売も、大岡川沿いの自宅を改装して、お客さまに川を眺めながら食事を味わっていただけるようにこの店を続けています。大岡川と、川沿いの桜はこのまちの地域資源です。景色と食事をゆっくりと楽しんでいただけるように、お膳で遊ぶように過ごしてもらいたいと思って、遊膳という名前を店名に付けています。

自分の店と、協議会と、NPO、その他にも日ノ出町駅前商店会の会長、町内会会長、野毛地区街づくり会の副会長など、できるだけ地域のイベントに関わってきました。

今年はコロナの影響が大きく、春先の花見シーズンも予約がキャンセルになったり、夏の水上イベントも開催できなくなりました。こんなことは長いこと商売してきて初めてのことです。でも、だからといって簡単にやめてしまっては、そこから先へみんなの気持ちが続きません。少しでも工夫して、何かしらの形で、どうにか続けることはとても重要だと思っています。

2005年から毎年続けている打ち水大作戦は今年、子どもたちに打ち水用のキットを配って自宅で実践してもらい、その様子をネット上に集めるようにしました。他にも、桟橋からのハゼ釣りは人数を調整したり、炊き出しまでする防災訓練もやり方を考えているところです。子どもたちが大好きな子神社(ねのじんじゃ)の行事も、どうにか考えて、途絶えさせないようにしたいですね。

地道な努力の継続は、仲間の存在があってこそ

「10年以上を掛けてアートのイベントも定着してきました。この数年はさらにマンションが増えて、過去の事も知らないままこのエリアに越してくる人も増えたんです。この先もずっとより良いまちにするためには、そうした方々にも変容の過程もちゃんと伝えていかなくてはいけないと思っています。

中には過去のことや協議会のしてきたことを受け入れてくれて、青年会に参加してくれるなど、過去を含めてより深く関わろうとしてくれる人もいて、すごくうれしいです。

私も長い間いろんな地域のことに関わってきましたが、どれも”町内の仕事”の一貫という感覚で勤めてきました。だんだん先輩世代がいなくなってきたことが寂しいですが、同時に自分のすべきことは、この活動を次世代に継承していくことだと思っています。

やはりどんなに熱意をもって始まった活動でも、世代を超えた仲間に引き継ぐことは欠かせません。そうでないと誰か熱心な担当者が変わっただけで継続できなくなったりします。

どんなことも近道ってないんですよ、地道に築き上げていくしかないんです。商売と同じで、ある日いきなりまちが良くなることなんてありませんから。長く続ける力になるのは仲間の存在です。自分のためなんかじゃ続きません、仲間の存在があり、仲間と一緒に定例会や役員会といった話合い、コミュニケーションの時間が最も力になります。それも今年はコロナでなかなか集まりにくくなってしまいましたが、リモートで続けていますよ。

今はもう来年のまちの行事のことを話し始めています。できれば来年は今年の分まで、大岡川と満開の桜をたくさんの方に楽しんでもらいたいです」

取材・文/ やなぎさわまどか

初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会(Kogane-X)会長/遊膳グレビーオーナー伊藤哲夫さん

10歳の時、東京文京区から日ノ出町に転入。1975年からビアガーデン、天ぷら店などの経営を経て、1988年に大岡川沿いに遊膳グレビーを開店。日ノ出町町内会、日ノ出町駅前商店会、初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会の会長を務め、街の浄化と賑わいの創出に寄与する。