ローカルキーマン

アート2023.03.31

藤棚町

伊勢佐木町から藤棚へ—「表現すること」を突き詰める創造的実験場 /アズマテイプロジェクト 東亭順さん、烏山秀直さん

アズマテイプロジェクト東亭順さん、烏山秀直さん

作品の売買を目的としているわけでもなく、
若手芸術家を支援するつもりでもなく、
スペースを貸し出すわけでもなく、
支援を受けて町興しに協力するわけでもない。
純粋にいま我々が観たいものを観せてもらい、
我々が見せたいものを見せ、
聴きたいものを聴き、
会いたい人に会う。
そして、ここが人生を能動的に前へ進める機会の場であることを主張していく。
それがアズマテイプロジェクトである。

上記の文は、2018年11月に伊勢佐木町センタービルの3階でスタートした「アズマテイプロジェクト」の宣言文の一部である。アズマテイプロジェクトの代表であり現代美術家の東亭順さんが「アートの対極にある欲望と騒音が交差する街角に忘れ去られてしまったかのように佇むビルの奥にある隠れ家のような場所」と表現するビルの一角。この場所では40回近くの企画展が開催され、国内外で活躍する第一線の作家から、この街で生きる「眩いくらいの酔っ払い」まで、75名にも及ぶ人々が参加した。

芸術を取り巻く環境が複雑化するなか、「我々が観たいものを観せてもらい、我々が見せたいものを見せ、聴きたいものを聴き、会いたい人に会う」を掲げ、「純粋な表現の場」であり続けるアズマテイプロジェクト。2023年1月には拠点を藤棚へと移し、新たなスタートを切った。

新拠点オープンに向けて準備を進めていた2022年、代表の東亭順さん、東亭さんと共にアート・パフォーマンス・デュオ「烏亭」を組む画家の烏山秀直さんに、アズマテイプロジェクトの活動について話を聞いた。

 

ビルの一角を創造的実験場へ

伊勢佐木町センタービル外観

烏亭の始まりは、2010年。烏山さんが、2009年から2015年にかけて、文化庁在外派遣研修員、ポーラ美術財団在外派遣研修員としてスイス・ドイツにて滞在制作を行っていた東亭さんの元を訪れ、共にパフォーマンスをしたことがきっかけだったという。

その後、帰国した東亭さんは活動の拠点を横浜へと移し、烏山さん、石井琢郎さん、南條哲章さんの4人でアズマテイプロジェクトをスタートした。2020年の終わりには、田中啓一郎さんと酒井一吉さんを新たなメンバーに迎えている。

東亭さん「帰国後は活動の拠点を横浜に移し、野毛や都橋商店街の飲み屋によく足を運んでいました。そこで出会った呑兵衛仲間と話をするうちに伊勢佐木町に場を持つことになりましたが、展覧会を開く場を作りたかったというよりは、この街で出会った『眩いくらいの酔っ払い』たちに何かをさせたい、仲間を集めて他ではできないことをやりたいという気持ちでした。彼らの言動にもはやアートと言える断片を感じる瞬間があるので、一席設けるから何かをやってみてよ、という感覚でした。

烏亭としての活動も増え、BankARTの企画などでパフォーマンスをしたこともあります。僕は帰国後はギャラリーでの作品発表は考えておらず、都橋商店街の行きつけの飲み屋(Echo’s Music & Alchol)で展覧会をしてほしいという話をもらった時も、ただ作品を展示するのは気が進まなかったので、『何をやっても良いなら』とロウソクを使ったライヴパフォーマンスを桜祭りに合わせて試みました。『烏亭炎上』のパフォーマンスは火を使うし音も出るので、そういう面でも、自分たちの場を持てば自分たちの責任で自由にパフォーマンスができるようになると感じました。」

このライヴパフォーマンスは、今はなき都橋商店街の「Echo’s Music & Alchol」にて、東亭さんが時折お酒を酌み交わしていたギタリスト・齋藤浩太さんの演奏と共に『烏亭炎上vol.2』として披露された

アズマテイプロジェクトがスタートした伊勢佐木町センタービル3階の一角は、かつて印刷所とその事務所として使われていた部屋だ。30年近く空室状態となっていたこの場所について、東亭さんは「アズマテイプロジェクトが始動したのはこの空間と出会った瞬間だったと言っても過言ではない」と記している。

東亭さん「迫力のある部屋で、とにかく場の強さに惹かれました。この場所であれば、火を使っても水を垂らしても音を出しても近隣に迷惑をかけないというのも決め手でしたね。

僕とメンバーの石井琢朗が大家さんに会わせていただき、商売ではなく文化的な形で使いたいと話をしたところ、大家さんはご主人が音楽活動をされていることもあり文化的な活動に理解のある方で、快く受け入れてくれました。

ビルを取り壊すことが決まってからは原状復帰しなくて良いと言っていただいたので、新しく壁を設置したり、取り払ったり、物を移動したりを繰り返し、最終的には入居時から空間はかなり変化しました。」

烏山さん「ギャラリーだと火を使える場所はほとんどないし、音の制約も厳しいので、やりたいことがどうしても制限されてしまう部分があるんです。なので自分たちで場を持つと、できることが広がる感覚があります。」

 

「無欲の欲」から生まれる魅力

アズマテイプロジェクト(伊勢佐木町センタービル3階)の入口

個人でも作家活動を行うメンバーが自ら企画を行い、展示会・展覧会を運営するのがアズマテイプロジェクトの最大の特徴だ。公式HPの中で、烏山さんは「アーティストでもあるメンバー主体の運営なので独自性の高い展示を打つことができ、社会問題や時代に鋭くアプローチした企画を迅速に行えるのがこのプロジェクト最大の利点ではないだろうか」と語り、創設時からのメンバーである南條哲章さんは、「無欲の欲から生まれる魅力がこのアズマテイプロジェクトにはある」と語っている。

昨今は、作品の売買、若手芸術家の支援、町おこしなど、「表現の切実さ」以上に優先されてしまうことも少なくないアートを取り巻く副次的な目的を濾過し、純粋な表現を突き詰めることが、アズマテイプロジェクトの大きな魅力と言えるだろう。

烏山さん「コロナ禍で移動が制限された際には、普段は映像を使わない作家さんたちに、5分程度の映像の作品を作ってもらい上映したこともありました。初めて映像作品を制作するという作家さんも多かったです。その時の社会状況を窺いながら企画を考え、実現できるフットワークの軽さこそ、インディペンデントの魅力であり強みだと思ってます。」

東亭さん「数年に一度のペースで個展をやる作家さんも多いですが、僕らはもっと早く出したい。自分たちの場所を持っているので、やりたいと思ったときにすぐに実行できるのは良いですね。伊勢佐木町センタービルでは40回近く企画展を開催しましたが、自分たちで企画から運営までをを取り仕切るのはなかなかヒリヒリする体験です。いつでも思いついた企画を実践できる環境で、いつまでアイデアが沸き続けるのかすごく興味があります。

来場者数や反響の大きさにはさほど興味はありませんが、作家や作品は第一級という自負を持って活動しており、ここで目撃したことを忘れないように記録することを続けています。デザインや写真などで友人の力も借りながら、展覧会や活動の記録・レビューをまとめて第一弾の記録集を発行しました。

自分たちで企画して自分たちで記録を残す身軽さと難しさは感じますが、メンバー同士で話し合いながら、やれることは自分たちで楽しみ、時には苦しみながらやっています。これからも、自分たちがやりたいことをやり、観たいものを観せてもらい、見せたいものを見せ、会いたい人に会う、というスタンスでアズマテイプロジェクトを続けていければと思っています。」

 

「表現」を通して、人生を能動的に前へ進めていく

『#30 わしの、あたいも逸品芸術祭 』の様子(写真:海保竜平)

東亭さん「2022年7月に開催した『わいの、あたいもあたいも逸品芸術』という祭には20人ほどの方が出品してくださいましたが、そのうち作家活動をしている方は2,3人でした。入祭者には自分が披露できる自慢の逸品を出品していただき、その逸品について話してもらうという形をとったところ、大家さんや主婦の方、烏山の繋がりで福岡在住のお坊さんも出品してくれました。

自分の大切な逸品を人前で見せ、その逸品についての話を聞かせるという行為は、その人がつけた価値を他人に伝えようとする行為です。作家が渾身の作品を価値あるものだと信じて展覧会で発表し、そこでプレゼンテーションすることに似ています。

この場所では、アトリエで必死に取り組んで作られた作品といわれるものだけがいわゆるアートなのかどうかを問う企画でもありました。そうなると、もはや作家だけに作品発表の機会を打診をするのでは物足りなくなり、自身の生活圏内で興味のある人に声をかけることになるので自然に輪が広がってきました。」

烏山さん:「『#30 わいの、あたいも逸品』に出品してくださったお坊さんは、僕が講師を務める長崎の美術予備校繋がりで知り合った美大出身の方です。現在は美術関係者ではありませんが、企画に興味を持ってくださり、修行用の半纏を出品してくれたんです。祭に参加するために、はるばる福岡から車を走らせて会場まで来てくれました。」

『#28 美術展覧会 第一回南條哲章』の展示作品 (写真:海保竜平)

東亭さん「2022年の春には、南條哲章による『美術展覧会第一回 南條哲章展』を開催しました。この展覧会は彼が作った作品を展示するのではなく、僕らメンバーが彼にインタビューをして制作した作品を展示しました。」

烏山さん「彼の出生から『南條哲章展』までの半生を本人に振り返ってもらい、メンバーで手分けして膨大な情報を修行のように筆で書き起こし、10本の年譜巻物などを作りました。」

東亭さん「彼は三代続く政治家の跡取りで、今は立派に家庭を持つ三児の父ですが、初めての個展の影響もあったのか、翌月に美術大学の通信教育課程に通い始め、さらに10月には第2回目の『美術展覧会 南條哲章展』を開催しました。この場所での出来事によって誰かの人生に変化が起きるというのは面白いです。」

 

そして、藤棚へ

完成間近の藤棚アズマテイプロジェクト外観

同・内観

最初の拠点である伊勢佐木町センタービルの取り壊しが決定したことを受け、2022年10月いっぱいで同ビルを退去。2023年1月23日に、藤棚商店街近くに新たな拠点をオープンした。新たな拠点で挑戦したいこと、そして今後の取り組みについても伺った。

東亭さん「基本的なコンセプトは移転後も変わりませんが、年配の方が多い街なので、彼らを対象としたワークショップなどにも興味があります。人生の先輩たちは色々なものを見てきたと思うので、いったいどんな視線で日本の現状やこれからを見ているのか、それをただ形に残すのではなく、意識を共有できるようなものになればおもしろいのではと感じています。

個人的には海外の作家の友人と作品を創りたいという想いがあります。コロナ禍で延期や中止になってからタイミングが掴めずにいるので、もう少し国外にも広がりがある活動もできたらと思っています」

烏山さん「僕はおもしろい企画がパッと思いつくタイプではないですが、アズマテイプロジェクトに関わっていると、『そういう考えがあるんだ!』と驚くような面白いことが起きるので、ずっと付いて行こう、面白いことを目撃していこうという気持ちでいます。東亭さんは、アズマテイプロジェクト全体を見ながら、烏亭や個人の活動もしているのでとても忙しそうですが…。」

東亭さん「1円にもならないのにね(笑)。」

最後に、日ノ出町・黄金町エリアに対する印象を聞いた。

東亭さん「伊勢佐木町センタービルのアズマテイプロジェクトには、野毛・都橋商店街飲み屋で飲み明かして共鳴した人が、よく酒瓶を携えてやって来ました。野毛や都橋商店街は、コロナ禍前は長時間開いているお店も多くそこに行けば誰かに会えるという感覚でしたが、コロナ禍でお店が長い間閉まっていたこともあり、僕が足繁く通っていた頃とは随分雰囲気が変わったように感じます。街全体に新しいお店が増えて、若者が多くなりましたよね。

自宅から伊勢佐木町センタービルに行くまでに、日ノ出町・黄金町駅間の高架下は必ず通るので、黄金町駅の近くのバーが立ち並ぶエリアにもよく行っていました。『シネマ・ジャック&ベティ』や行きつけのワンタン屋など、今でも時折足を運ぶお店は多いです。」

 

アーティスト自らが、自分たちが観たいもの、見せたいもの、聴きたいもの、会いたい人を追求し、展示会の企画・制作・運営を行うアズマテイプロジェクト。「自分たちが面白いと思うもの、表現したいものを追求する」。言葉にすると単純であるが、アートを取り巻く環境が複雑化するなかで、純粋な表現の場を創り出すこと、そしてそれを守り続けることは決して容易いことではない。だからこそ、純粋な表現の場を守り続けるアズマテイプロジェクトは、他のアートスポットとは一線を画す独自の魅力を放っているのだろう。伊勢佐木町から藤棚へと拠点が移り、雰囲気の異なる街でどのような表現が生まれていくのか。新たな地で始まったアズマテイプロジェクトの第2章から目が離せない。

 

取材・文/橋本彩香

アズマテイプロジェクト東亭順さん、烏山秀直さん

東亭順
文化庁在外派遣研修員、ポーラ美術財団在外派遣研修員としてスイス・ドイツにて滞在制作(’09-15)。2014年にはsongs for a pigeonをAxel Töpfer と結成し、東京を中心に11の展覧会を実施。 帰国後、横浜に活動拠点を移し、記憶や記録をコンセプトに制作を続け、炎を用いたアート・パフォーマンス・デュオ「烏亭」(’14-)や音楽家斎藤浩太とのサウンド&アート・パフォーマンス・デュオ「ソフトコンクリート」(’19-)として新しいライヴリーな表現活動を展開している。

烏山秀直
絵画における素材・行為・歴史などを考察の基盤とし構造やプロセスを解体・再構築し絵画の持つ様々な可能性や時代に耐え得る強度と持続性を追求した制作を行なっている。第28回ホルベインスカラシップ奨学生認定/2013、東亭順とアートユニット「烏亭」結成/
2014。主な展示会に「Japan im Palazzo」Kunsthalle Palazzo/2016、「行為の触覚 反復の思考」上野の森美術館/2012など。