ローカルキーマン

日ノ出町町内会長2023.03.31

日ノ出町

日ノ出町町内会長と巡る、地域の歴史ある大切な場所 /日ノ出町町内会長・株式会社神田酒店の代表取締役 神田正さん

日ノ出町町内会長神田正さん

地域をよく知る人物に日ノ出町・黄金町エリアの魅力的な場所を紹介してもらう「TOUR」連載。第3回目となる今回は、2022年より日ノ出町の町内会長を務める、株式会社神田酒店の代表取締役・神田正さんに、地域にとって大切なスポットを紹介していただきました。

 

 

時代と共に変化するまちの酒屋さん

Kanakoya外観

神田さんが代表取締役を務める株式会社神田酒店は、創業100年以上の歴史を誇る老舗酒店。広島出身である神田さんの義理のお祖父さんが、横浜・千歳町に吟醸酒「幻」や「誠鏡」で有名な竹原氏の酒蔵「中尾醸造株式会社」も扱うお店を開いたのが始まりだ。2代目となる神田さんのお義父様が生まれた1923年頃には、お店は末吉町に移転していたという。第二次世界大戦後には、大岡川を挟んで吉田新田の内側にあたるエリアがアメリカ軍に接収されたため、日ノ出町駅にほど近い現在の場所へ移転し、1953年12月には株式会社神田酒店として販売許可を取得し営業を再開しました。

東京・大森の板金加工屋に生まれた神田さんが神田酒店で働くことになったのは、ある女性との出会いがきっかけだったという。

神田さん「大学の4年生の時に付き合い始めたのが、日ノ出町にある酒屋の3人娘の長女でした。元々は教員を志望していましたが、彼女と一緒にいたい気持ちが勝って、神田酒店の跡取りになりました。1976年に結婚した当時は、『昔ながらのまちの酒屋さん』といった形で、野毛や福富町周辺の飲食店にお酒を卸しつつ、個人のお客さんをメインに営業していました。ご家庭に配達をしたり、店頭には立ち飲みコーナーもありました。

日ノ出町駅に隣接した現在の建物が竣工したのは、1990年3月です。先代の義父と竣工後の業態を相談した結果、当時は様々な業界で規制緩和が行われ、『昔ながら』の商売が通用しなくなっていった時代でもあったので、小売り部門は新しい業態としてコンビニエンスストア「スリーエフ」の店舗を経営することに決めました。」

1990年4月に、「スリーエフ日ノ出町駅店」がオープン。以来、契約の区切りとなる2017年4月まで、株式会社神田酒店がオーナーを務めた。スリーエフを開業した当時は規制により、酒類を販売できる時間や店舗が限られていたため、24時間いつでも様々な種類のお酒が手に入るコンビニエンスストアは重宝され、夜は仕事帰りにお酒を求める人々が吸い込まれるようにスリーエフに立ち寄っていたという。

スリーエフと並行し、現在のKanakoyaの場所を倉庫に、業務用酒販店としての営業も続けていたそうだ。その後、長男の正道さんが2006年に入社し、業務を手伝ってくれるようになり2017年からは業務用酒販部をひきうけてくれています。更に、2009年には飲食部門として娘の香奈子さんがkanakoyaがオープン。2017年まで、株式会社神田酒店は、業務用酒販店、コンビニエンスストア、飲食店の3本柱となっていた。30年弱コンビニを経営していたため、地域のお子さんが大人になり、結婚して子どもを連れてくることもあったそうだ。

 

女性が1人でも入れるお店を目指して

店頭に立つ香奈子さん。

神田さん「Kanakoyaは今年で14年目を迎えます。オープンする前、娘の香奈子はサッポロビールに勤めていました。仕事帰りにひと息入れたい時に、野毛の方まで出て行くのはちょっとな、と思うことがよくあったそうで、そういう女性が他にもいるだろうから、日ノ出町駅からすぐ傍のこの場所でお店をやると決めたそうです。

女性が1人でも入れる、入りたくなる店を目指していて、お客さんをよく見ながら営業しているなと思います。女性客に失礼な関わり方をするお客さんがいたら、置いてあるピコピコハンマーでペケっと叩くんです。自分も仕事終わりにKanakoyaに飲みに来ることがありますが、常連の方も多く、香奈子の娘、私の孫が店内のカウンターで宿題をやっているのを皆さん温かい目で見守ってくれています。昔の神田酒店で立ち飲みコーナーをやっていた頃、瓶ビールを冷やす水冷式のショーケースを机にして、お絵描きをしていた香奈子の姿と重なります。」

▼Kanakoya・神田香奈子さんのインタビュー記事はこちらhttps://culture.yokohama/people/1699/

 

「昔ながら」の繋がりが続く日ノ出町町内会

2022年に日ノ出町の町内会長となった神田さんだが、会長となる以前には10年以上会計を務めており、町内会との関わりは長い。そんな神田さんに、このまちの町内会や青年会についても話しを伺った。

神田さん「日ノ出町の青年会は、佐野屋本店の先代が初代の会長で、町内会の青年『部』ではなく独立した青年『会』として設立しました。町内会の会員資格が町内在住または在勤であるのに対し、青年会は活動に賛同し、メンバーの承認を得ることができればどなたでも参加できます。

青年会のメンバーとして町に関わるうちに町内会にも加入する方が多いですが、それぞれお仕事があるので、参加できるときだけでも手伝ってもらえると助かりますというスタンスです。青年会は夏祭りの屋台、夏休みのラジオ体操、餅つきなど子ども向けの行事を開催しているので、引っ越してこられた方もそういった催しに参加するなかで、『地元の青年会がこんなこともやってるんだ』と興味持って、入会してくださる方もいます。

他の町の人からは『日ノ出町って、受け入れてくれるよね』と言われることもあります。まちの外の会社に所属する人や昔の日ノ出町・黄金町を知らない人が町内会や青年会に関わってくれることも増えましたね。町の外から来た方を尖った目で見ることはないので、ぜひ一緒に活動して、自分たちが気づかなかったことや他の町の事例などを提案していただきたいです。それを自分たちなりに咀嚼して、町内の皆さんの協力を得られるような形で取り入れていく、そういう土台がある町だと思います。」

町内会の組織として、60歳以上が加入できる白寿会というのもあり、年齢ごとに地域と接点を持つ場があるのも日ノ出町の特徴だ。横浜の中心部にほど近い場所で、これだけ「昔ながら」の地域の繋がりがあることに驚かれることも多いという。

 

地域スポット➀小林紙工株式会社

この町を語るうえで欠かすことのできない「問屋」。神田さん曰く、はつこひエリアに問屋が多いのは、神田酒店と同様、戦前は長者町周辺で営んでいたお店が、戦後にアメリカ軍に接収されたタイミングで、元々営業していた場所から近い近い地域に引っ越してきたからだという。

日ノ出町駅から歩いて3分足らずの場所にある小林紙工株式会社も、戦前の1925年に野毛で創業した紙器の専門店だ。1955年には、問屋街として賑わう日ノ出町にお店を移転。現在は横浜市内に4つの営業所を構え、店頭販売に加え、パッケージ開発や物流管理なども相談可能な地域密着型の企業となっている。2020年にはウッド調の看板が目を引く店構えへとリニューアルし、通りの印象も一変した。

神田酒店も、一升瓶やワインを入れる袋、包装紙などを購入しているそうだ。

神田さん「小林紙工さんに来て、この後お邪魔する佐野屋本店に行くと、イベントに必要ななものを一通り揃えることができるので、学校のPTA役員や、町内会・青年会のメンバーは皆さんこの流れで買い物をしていると思います。問屋の街ならではですよね。

小林紙工さんは、紙類やプラスチック製品だけではなく、夏になるとかき氷のシロップも販売するんです。カップやスプーンを買いに来た人が、一緒に買いたい商品をしっかりと揃えている。小林紙工さんをはじめ、はつこひ商店会には、『昔ながら』でありながら、ニーズに合わせて変化する努力をしているお店が多いです。」

冠婚葬祭用の封筒や大入り袋なども取り扱っている。

▼小林紙工株式会社 取締役専務 小林直樹さんのインタビューはこちら
https://culture.yokohama/people/1140/

 

地域スポット➁佐野屋本店

続いてご紹介いただいたのは、小林紙工から歩いて1分のところにある玩具問屋「佐野屋本店」。創業120年を超える老舗で、駄菓子屋やショッピングモール、飲食店への卸はもちろんのこと、学校のPTAの役員や町内会・青年会の方々が地域のイベントの際に利用するなど、まちの人々にとっても欠かすことのできないお店だ。

店内は、1階が主に玩具、2階には駄菓子を中心としたお菓子が陳列する。「ワクワクしちゃうね」という神田さんの言葉通り、懐かしいお菓子や玩具に囲まれると、大人であっても思わず心が躍る。

取材中の神田さん。「凍らせて食べると美味しいんだよ」とあんずボーのおすすめの食べ方を教えてくれた。

神田さん「スーパーやコンビニには売っていないお菓子もあるから、ここに来ると目が輝いてしまいますね。思わず大人買いしたくなっちゃう(笑)。お酒のつまみになりそうなものも多いです。

佐野屋さんは地域のお祭りの時に色々な景品を提供してくれるんです。夏のラジオ体操では、他の地域はスタンプが溜まったら最終日に景品をもらえるところが多いと思いますが、日ノ出町は毎日参加賞を渡しています。それは佐野屋さんはじめ地域のお店の協力があってこそで、日ノ出町は色々なことができる町だなと思います。

青年会に所属していた頃は、佐野屋さんで仕入れをして、金魚すくいのポイを針金から1つ1つ手作りしていました。前日の晩にポイを作ったりヨーヨーを膨らませたり、お神輿をかつぐ合間に足りなくなった金魚を買い足しに行ったり、みんなで一緒にお祭りの準備に奔走していましたね。」

代表のお母さん「大変だけど楽しかったですよね。そして今の若い方もそれを繋いでくれている。縁日などで使うものは一通り揃っているので、コロナ禍も落ち着きはじめた今年は、少しずつ地域のイベントも再開していくと良いなと思っています。」

神田さん「地域のみんなと一緒にお祭りの準備をするのは、楽しさが上回っていました。仕事が休みの日に活動するのは大変だけど、楽しさもある。お客さんとして屋台の外側にいるのも楽しいですが、せっかくなら屋台の内側で、運営する側としてまちのお祭りを楽しむ人が増えて、次の世代に続いていくと嬉しいです。」

 

地域スポット➂子神社

最後にご紹介いただいたのは、佐野屋本店から県道218号線を渡った建物の裏側にある子神社。横浜の総鎮守である伊勢山皇大神宮(西区宮崎町)の兼務社の一つであり、日ノ出町、初黄町、英町、東ヶ丘の鎮守として町の人々が大切にしている場所だ。お賽銭箱の開閉は、各町内会が3カ月ずつ順番に担当しているという。毎月1日には伊勢山皇大神宮から担当禰宜が訪れ、月次祭が執り行われているそうだ。

神田さん「佐野屋本店の亡くなられた先代が色々と尽力してくださったおかげで、今の子神社があるんです。そのご縁で、毎年成人式の日に、日ノ出町の新成人が町内会の役員と一緒に伊勢山皇大神宮へ行き、横浜市の新成人の代表としてお祓いを受けるというのが現在も続いています。」

大みそかには氏子会の人々が古いお札のお焚き上げや販売をしたり、青年会のメンバーがお詣りに来た方々に振る舞い酒をして、地域の人々が子神社に集い、みんなで年を越すのが風物詩となっている。今年2023年は3年ぶりに節分祭を執り行い、地域の子供達が伝統行事に参加する機会を継げる事もできたという。人々が大切に守り続けてきた子神社は、周辺地域の繋がりを象徴する場所ということもできるかもしれない。

 

新しい世代と共に、安心して暮らせる町を作っていく

最後に、神田会長からみた日ノ出町の変化、そして魅力を教えていただきました。

神田さん「初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会を中心としたガード下の浄化活動が行われ、この20年でまちはずいぶん変わったと思います。最近、町でお店を始めた女性に話を聞いたら、怖い思いをしたことはないし、良い町ですよね、とおっしゃっていました。

徒歩圏内には野毛山動物園、みなとみらい、横浜スタジアム、中華街があり、京急線に乗れば1本で海や山に行くこともできる。都内へのアクセスも良いので、飛行機や新幹線に乗るのも、通勤にも便利です。昔の日ノ出町・黄金町を知る人にとってはマイナスのイメージが強いと思いますが、実はファミリーで暮らすにはとても良い町なんです。

ネクタイを締めるのではなく、前掛けや作業着1枚羽織って商売をしている人が多く、みんな30代40代の青年会時代からの付き合いで、70歳を過ぎてもファーストネームで呼び合っている。そういう日本の下町の良いところを残しつつ、行事などを通して幅広い年代の方と繋がりながら、精神的にも物理的にも安心できる暮らしやすいまちを一緒に作っていけたらと思います。ぜひ新しい人たちに関わってもらって、新しい日ノ出町・初黄町を発信していきたいです。」

地域の繋がりで負の歴史を乗り越え、昔ならではの心地よさと、新しいものを受け入れる柔軟性を合わせ持つ日ノ出町。ぜひ地域の人々が大切にしてきたスポットを巡り、この町の歴史と未来に、思いを馳せてほしい。

 

文/橋本彩香

日ノ出町町内会長神田正さん