スペシャル対談

フード2021.05.26

日ノ出町

街のために、自分のために。連携しあう文化は世代を超えて。

永野鰹節店 店主一ノ瀬成和さん

ヨコハマベジメイトプロジェクト事務局 直営店FarmDeli&Bar 店舗マネージャー小出好美さん

「文化的」とは何だろうか。

街づくりや地域活性において、「文化」の存在は欠かせない要素のひとつ。かつて地域住民の思いから端を発し街の再生を実現させた日ノ出町や黄金町においては、そのシビック・プライドこそが、もはや文化的になっている。現在も新陳代謝を繰り返し、より良い街であろうと努め続けるキーマンたちの意識は、人が人らしくあるための根源に触れるかのように、地域に深く染み込んでいた。

日ノ出町で70年以上続く「永野鰹節店」の店主、一ノ瀬 成和さんと、1年前から高架下の「日ノ出町フードホール」にて農家直営型の飲食店を運営するヨコハマベジメイトプロジェクトの事務局小出好美さんに、日ノ出町における地域文化と、それを支える人々の思いについて聞いた。

この街でよかった。みんなで築き上げた街の価値。

小出さん: 一ノ瀬さんはお父様から鰹節屋さんを継がれていらして、もうずっとこの地域でお過ごしなんですよね?

一ノ瀬さん: 生まれも育ちも日ノ出町なので、もう70年以上になります。うちは元々、父親が乾物屋として戦後直後の昭和22年に始めた店でした。乾物の主なお客さんは蕎麦屋でしたので、その頃にはもうお蕎麦屋さんがたくさんできていた社会だったんですね。

2代目として継いだとき、わたしは30歳を過ぎていたんです。というのもずっと芝居をしていて、仲間と劇団をやったりしてたので、別に会社を継ぎたいなんて気持ちは全くなかったんですよ。両親もなんとなく理解があったんですけど、でもある時、父が歳をとったことを実感することがあって、誰かがどうにかしなきゃいけないと思いました。すぐに継ぐかどうかというよりも、なんとなく手伝いをするように始めたんです。家業の後継や、親の高齢化など、今の時代と同じ問題ですね。

小出さん: 町内会長などもずっと続けてらっしゃるんですよね。

一ノ瀬さん: 父から店を引き継いでから45年くらい経つわけですけど、町内会の副会長も45年くらいやっています。もう辞めれない感じがしますね(笑)桜まつりも、第三回目の開催からずっと、解散までの28年間関わり続けました。長く何かを続けられる性格なのかもしれませんね。
小出さんは、いつからヨコハマベジメイトプロジェクトに関わってるんですか?

小出さん: この店の運営母体である「ヨコハマベジメイトプロジェクト」自体が4年目で、わたしも事務局として4年になります。ヨコハマベジメイトプロジェクトは、この横浜で新規就農した農家さんを支援する目的で、メンバーのほとんどの農家がいわゆる小規模農家。農地も借りている土地だったりして、同じ都市型農業でも代々続く従来型の農家とはまた違う農業のスタイルをしているんです。農薬も化学肥料も使わず、丁寧に農業をしたい人たちばかりで、彼らの生産や加工販売などを共チームとして行う目的で始まった取り組みです。

イベントやマルシェに出てお野菜を販売し出して3年目のときに、京急電鉄さんから高架下に新しくできる「日ノ出町フードホール」内へのこの実店舗出店のお話をいただきました。まさか自分たちが飲食店を出すとは考えたことはありませんでしたが、日ノ出町はコロナ前までこの地域の商店会主催のイベント「はつこひ市場」に毎回出店させてもらっていた馴染みのある場所。京急さんはそんなことを知らずにお声がけくださったので、本当にご縁を感じました。なんだか周りから背中を押してもらえたというか、日ノ出町に導かれたというか。

はつこひ市場などマルシェに出ている時、お野菜を気に入ってくれた方が平常時に買える場所がないことも気になっていたので、直営店ができたことを喜んでくださるお客さまもいます。常設店舗ができたこと自体がとても嬉しく農家たちの励みにもつながっています。

一ノ瀬さん: 日ノ出町の印象などはどうですか?

小出さん: 私は横浜生まれではないのですが、実は子どもの頃、クラブ活動で何度か来たことがありました。その当時はまだ街に怪しい雰囲気がある頃で、引率の先生に誘導されて歩いた記憶があります。でも数年前「はつこひ市場」のことで電車を降りたとき、当時とは全然ちがう雰囲気で、マルシェもとても良い雰囲気だと感じました。実際、無農薬の野菜に対しても親和性や意識をもってる人が多いですし、商店会の方にも歓迎していただけて、新参者を快く受け入れてもらえることがすごくありがたかったです。今では、お店を出すことになったのが日ノ出町でよかった、と思ってますね。

一ノ瀬さん: ぼくらは新しい人を受け入れることに全く拒絶反応がないんですよ。まだお互いをよく知らないでも、まずは入ってきてくれるという動機があるわけだし。それならば一緒に何ができるか、お互いの合意みたいなものを取る必要もあるし、仲良くできたら良いと考える傾向があるんですね。街を良くするためには新しい人をどんどん受け入れられる地域でありたいと思うんですよ。たとえば受け入れる側が構えちゃったりすると、うまくいかなくなっちゃうこともあるんですよね。

小出さん: この街の皆さんには「みんなでこの街を良くしてきた」という思いが共有されていると感じています。近年は共通認識が失われてる地域も増えていると聞くなかで、まだこんなに良い雰囲気が残ってるのは、この地域の、町内会、商店会、NPO始め、様々な団体が協力し合って皆さんの力で今の街を作り上げてきたからこそだと思います。

一ノ瀬さん: ひとつには初音町や黄金町ともちょっと違って、日ノ出町は商店が多いということでしょうね。昭和47年、うちの親父たちが街づくりをしていた頃、京急の急行列車を日ノ出町駅にも止めてもらおうと本社まで陳情に行ったそうですよ。今思えばちょっと単純な動機だとも思うけど、当時横浜の中心地は伊勢佐木町でしたからね、急行が止まるようになれば5,000人くらいの降車率を期待していたそうです。もちろんそう簡単にはいかなかったと思いますけど。まだ個人商店の主がほとんどで、まとまりやすかったんですよね。日ノ出町の駅前商店街も、当時は50店舗くらいが入ってたんですよ。親父の世代たちにはちょっとケンカっ早いところがあったのを見て育ちましたが、それにしても子どもながらに仲がいいことは感じていました。

小出さん: 地域みんなで結束して挑戦したということ自体が本当にすごいと思います。歴史ある「大岡川桜まつり」も元々は市民発なんですよね。

一ノ瀬さん: 当時から先進的なアイディアをくれる人がいてね、積極的に提案してくれたおかげです。「神社のお祭りだけじゃなくて、もっと自発的に続ける祭りを」とみんなを焚き付けてくれた。そのおかげでみんなで始めてみんなで続けてこられました。今は解散しましたが、今後また形を変えるだろうし、桜まつりが続けられたことは、結果的に日ノ出町の面白さに繋がったと思いますね。

内か外か。街をよくする「目的」

一ノ瀬さん: 最近はお店の数が減り、マンションが増えて、街の半分くらいが居住地域になって、世帯数も1000を超えた。昔と比べたら倍くらいになったと思います。そのため今は、地域の経済や産業という側面では、新しい参加者がどれほどうまくビジネスにできるかどうか、また、周りも十分にフォローできるかどうか、昔と同じにはいかないこともありますね。

小出さん: うちの直営店はまだ1年ですが、それにしても日ノ出町フードホールの開店直後にコロナ禍による第一回目の緊急事態宣言が重なってしまいました。うちの農家たちの野菜も買えるけれど、メインはその野菜を使った料理を味わってもらえる飲食店なのに、一番多くの方に知らせたかったオープン時は、気軽に「食べに来てください」とは言いにくいような情勢になってしまっていました。実店舗ができると告知できるようになった時にはすでに、それまで毎回出店していた「はつこひ市場」も開催中止が確定してました。

しかしながら、日ノ出町フードホール自体がそもそも、京浜急行電鉄による街づくりや地域活性が大きな目的なので、商店会などの地元の方々や同じ高架下事業者たちとの連携がしっかり取られています。そのおかげでわたしたちも、長期的な視野に立って目先のことだけに気持ちが捉われずにすんでいます。

一ノ瀬さん:新しい人が地域に参加してくれるとき、こちらが万全な受け入れ態勢があるかどうかは約束できないんだけど、時間をかけて根付いた地域の力はあると思う。どれだけみんなで一緒に動けるかっていうね。

小出さん: そうですね、コロナ禍のオープンは色んなことが後手になってしまったんですが、それでもうちのフードホールの前を通ると「どう?」と声を掛けに寄ってくださる地元の方々もいらして、本当にありがたいです。そうした基盤がないと、近隣店舗同士でお客様の取り合いになっちゃうわけですが、日ノ出町は、この地域に呼ぼうよ!とチラシを置いてくれたりお客さまに紹介しあったりする。仲間側にしてもらえてありがたいです。

一ノ瀬さん: 街づくりの目的について、随分話し合いましたね。街の外から人を呼ぶためなのか、それとも内からの活力を上げるためなのか、という議論を重ねて、まずは自分たちの活力を上げないとどうしようもない、という話になりました。それが横の協力を強めることにつながり、そしたら結果的に、その活力のおかげで外から人が来てくれる力もついたんだと思います。

小出さん: それが本当に今につながってますよね。近隣店舗がチラシを置いて宣伝しあう文化が引き継がれていたり、そうしたことに助けられた分、自分たちも続けていきたいです。うちもTinysさんに紹介してもらったりすることが多いので、こちらも貢献したいという気持ちになるんです。個人でする宣伝は本当に小さな力ですけど、それが地域連携だと結果的に自分たちのためにもあるし、何よりも楽しいんですよね!

実際うちも、コロナ禍もあって当初の予定よりお客さんも売上も少ないんですが、でもこの高架下の連携に感謝することばっかりで、本当に「ここで良かった」と感じています。

一ノ瀬さん: これまでもそうでしたが、何か大きなモノゴトが動くときって、みんなのパワーが一気に動くからこそ叶うんですよね。世代や商売の垣根を超えたつながりがウワーっとはたらくような。それが一度落ち着いちゃうと、もう一回腰を上げるのはなかなか大変なんだけど、でもお年寄りや子ども、特に、これから増えていく地域のお年寄りたちを巻き込んで一緒に何かできるようなことがあればいいなあ。

例えば川の両岸の桜の範囲に、空いた空間をつくらないようにして、空いている場所を埋めるようにした使い方ができたらいいなぁと思ってます。場的にちゃんと埋めて、横とつなげて、何か展開しやすいような。文化を連携させて、また地域のうねりができることを考えたいですね。

取材 / 川口直人 文 / やなぎさわまどか

永野鰹節店 店主一ノ瀬成和さん

1947(昭和22)年創業の永野鰹節店の2代目店主
地域活動を積極的に行い、初黄日商店会会長 や、横浜で大人気のイベント大岡川桜まつりの実行委員会会 長を25年努めた。(桜まつりは昨年解散)
https://jinzukan.myjcom.jp/yokohama/post/951

ヨコハマベジメイトプロジェクト事務局 直営店FarmDeli&Bar 店舗マネージャー小出好美さん

ヨコハマベジメイトプロジェクト事務局
直営店FarmDeli&Bar 店舗マネージャー
幼少期からのアトピーを自然療法と自然農法の野菜中心の食で改善した経験をもとに、環境や食の大切さを伝えることに携わる。横浜で探し求めていた自然農法を行う農家との出会いから、農家と共にヨコハマベジメイトプロジェクトを立ち上げ。消費者の農作物への理解を進め、農と食から考える毎日を楽しむ心豊かなくらし、自然と寄り添う farm to table な暮らし方と食で季節を感じる楽しみを提案している。
https://hinode-chofoodhall.com/farmdeli
https://www.instagram.com/farm_deli_and_bar/
http://yokohamavegemate.com/