ローカルキーマン

スポーツ2020.10.29

山下町

「オン」のシューズとともに。横浜で新しい人生が始まった。

オン・ジャパン株式会社代表駒田博紀さん

ランニングは覚悟を要する。

ふさわしい靴を選び、自らを知り、限界を超える。どこか求道者を思わせるせいか、腹をくくらないと始めてはいけない気がしてしまうのだが、ランニングを愛する人の多さは洋の東西を問わず。そして達人こそが口を揃えて「楽しいですよ」と初心者の気持ちを慮れるのだからすごい。

2015年、日本に法人を設立したスイス発のランニングブランド「On (オン)」は、確かな品質でファンを増やし、日本に新しいランニング文化をもたらした。横浜に支社を置き、様々な垣根を超え続けるオン・ジャパン代表の駒田博紀さんに、ファンと共にあるブランドの在り方を尋ねた。

実は走るのが大嫌いだった

「2012年のある日、当時の上司に呼び出されて、初めてオンの靴を手に取りました。その頃の僕はスイス系の商社に勤務していたんですけど、2010年にスイスで誕生したランニングシューズを取り扱うので担当してくれ、と言われたんです。

僕自身がスポーツ好きなこともあって任命されたのですが、実は走るのだけは大嫌い、何が楽しいんだろうと思っていました。だから最初は全く乗り気になれませんでしたね。しかも年間のマーケティング予算が非常に少ないし、何をどうしたら売れるんだろうと途方に暮れました。

しかし、オンを創業した3名の思いに触れたら、とても感動したんです。それに靴のデザインはかっこいいと思ったし、スイスっていう国のイメージは良い。だったらできることをやってみようと少しずつ前向きになりました。ただ、ショップを巡って市場調査をしたり、東京マラソンなどにブースを出展したりしているうちに、大手シューズメーカーの力の大きさを痛感して、いかにシューズ市場がレッドオーシャンかと頭を悩ませることも多かったです。

とにかく予算がなかったので、自分のSNSアカウントをつくってブースに立ち寄ってくれた人たちと繋がりをつくり、そして、自分自身でもランニングを始めました。始めは15分くらいしか走れなくて、楽しくなかったですね(笑)それでも他に発信できる先もないし、自分のランニングをこつこつSNSに投稿してました。

はじめて東京マラソンに出展したのと同じ年、沖縄・宮古島でのトライアスロン大会にブースを出したら、オンの靴を履いてレースに出てくれた人がいたんです。嬉しくてその人のゴールを見届けました。大会後に打ち上げられた花火を見ながら、気づいたら、自分も来年は出場します、とその人と握手しながら宣言してしまってたんです(笑)

SNSでも投稿したところ、これまでたいして走ったことない奴が1年でトライアスロンに出るという無謀さに、面白がったり応援するよと言ってくれた人たちがいました。それからトレーニングを始めて、1ヶ月半後に短めの大会に出るなど段階的にトライアスロンに挑戦して、結果的に約束の宮古島トライアスロンを、オンを履いて完走したんです。色んな人が本当に喜んでくれましたね。オン創業者のひとりであるオリヴィエ・ベルンハルドは元プロトライアスリートなんですが、その彼と日本で会った時に、『次はもっと距離の長いアイアンマンレースに出る』という約束までしてしまい、僕自身がどんどん走ることに目覚めていきました」

世界のオンが、横浜で風に乗る

「2014年の秋。盛り上がりを実感し始めてこれから、という時にまた同じ上司に呼び出されて、売り上げの低さを理由にオンの代理店契約を切ることが告げられたんです。それまでオンを通じて知り合っていた人たちの顔が思い浮かんで、彼らを裏切るようなことは絶対にしたくない、という自らの思いに気づきました。そのくらい僕はランニングを好きになっていたし、オンを好きになっていたんです。

日本からオンを無くしたくない気持ちでいっぱいだった僕は、オン創業者の一人で、セールスを担当しているキャスパー・コペッティが日本に来たときに必死でプレゼンしました。どうか日本法人をつくって欲しい、オンを楽しんでいる人たちはこんなにも増えているんだ、と僕がこの目で見て体験してきたことをどうにかわかってもらえるように伝えました。

スイスでも役員会に出席して、日本のマーケットの可能性についてありとあらゆる質問を受けたりして無事に、2015年5月、オン・ジャパンが誕生することになりました。嬉しかったですね。お取引先や販売店舗にもキャスパーと連名でお知らせしましたが、何よりも最初からオンを気に入ってくれていた人たちに、これからもオンを一緒に楽しんでほしいと伝えられることが本当に嬉しかったです。

オフィスを横浜におくと決めた時、キャスパーからは「なぜ横浜なんだ?」と聞かれました。表参道やキャットストリートが良さそうなのになぜなんだ、と。経費や社員の通勤のこともありましたが、一番は、横浜という日本でも最初に異文化に向けて扉を開いた街こそオンを広めるのにふさわしいんだよ、と説明したら感服した顔をしてくれたのを覚えています。

僕自身も横浜に引越してきて、本籍も移しました。東京出身ですが、横浜で生まれ変わり、このブランドと共に新しい人生をスタートさせるんだ、という覚悟をもっていたんです。最近では、冗談で『おれ横浜で生まれ育ったんで』と話しても、みんな『うん、そうだよね』と、受け入れて突っ込んでくれないんですよ(笑)

横浜は走るのにも最高ですね。赤レンガ、山下公園、海沿いなんかはどの季節も気持ちがいいですし、少し行けば野毛山動物園もあるし、大岡川沿いもいいですよね。適度に険しい坂や山もあるし、走るのに適したコースがたくさんあります。5〜6キロも走ってるうちに雰囲気のいいお店や、行ってみたいお店を見つけることもあって、それまでしたことなかった食べ歩きも横浜で始めたことの一つです。走ってる間に見つけたお店に、シャワーを浴びた後にまた戻ってビールを飲む、というのが大好きな趣味にもなりましたね。お店の人もすぐに顔を覚えてくれて、声をかけてくれる。それを発信すると、横浜に走りに来てくれる方や、僕が常連のお店に食べに行ってくれる人もいて、今では横浜の飲食店をめぐるランニングイベントも開催しています。

「オンフレンズ」と名付けた関係性

オンをはじめの頃から応援してくれる方々は、今でもイベントに参加してくれたり、ブースに立ち寄ってくれたり、オン・ジャパンができて以降の展開を喜んでくれています。まるで小さい頃から知ってる子どもの成長を見てるようだ、と言ってくれた人もいて、僕自身、彼らの顔が浮かんだから覚悟を決めてプレゼンできたわけで、本当に感謝の存在ですよね。

もうね、ただのお客さんとメーカーという感じじゃないんですよ、家族というか、友達というか、成長を一緒に喜び合える仲間。彼らがいてくれるからこそオン・ジャパンがあると思っています。

2017年だったかな、僕の頭の中にあった、そんなふんわりとしていた概念に「オンフレンズ」と名前をつけました。オンを履いてる人、オンの魅力を伝えてくれる人、オンを楽しんでくれる人たちが、横方向にも繋がれるように、ハッシュタグ #OnFriends を始めたんです。今ではもうすっかり僕の手を離れて、各地でオンフレンズ同士が旅先で出会ったり、一緒に走ったり、おいしいものを食べたりする様子を投稿してくれています。スイス本社でも、日本独自のファンコミュニティが盛んであることは認識していて、本当に幸せなことだと思いますね。

僕が初めてオンの靴を手にした時は、ランニングシューズしかつくってなくて、まだ4つぐらいしかモデルもありませんでした。今でもオンのコアファンはランナーたちですが、展開アイテムは広がり続けています。アウトドア系のハイキングシューズ、ファッション性のあるスニーカーやブーツ、アパレルもつくっていて、どんどん新しいフェーズに入ってきました。今まであまりしてこなかったタイプのマーケティングも始まる予定ですが、オンフレンズたちとの付き合いは変わりませんし、これからもまたさらに新しい関係性が築けていけると思っています。僕が考えているマーケティングは、「ひと付き合い」そのものなんですよね。古くからの友達も大切だし、新しい出会いも大事にするし、友達同士も仲良くしてもらいたいんです。

日本で初めて出展したブースは、東京マラソンの3メートル四方の一番小さなブースでした。横浜に来て成長したおかげで、今は一番大きなサイズのブースを出せるようになりましたが、これからさらに進化できるように色んなことを考えています。増えてきたアイテムのショールームや、ランニングイベント後に集まれる場所、撮影に適したスタジオなども計画中です。もちろん、今後も横浜に留まるつもりでいますよ。

なにより最初から見守ってくれている人たちにもっともっと喜んでもらいたい、オンフレンズたちが誇らしく感じてくれる、そんなブランドに育てていきたいです。

取材・文/ やなぎさわまどか

オン・ジャパン株式会社代表駒田博紀さん

1977年生まれ。2013年よりスイスのランニングシューズブランド「On」の日本市場マーケティングを担当。2015年5月、オン・ジャパン株式会社を設立し、自身も横浜に転入。「ハマのダンディズム」の愛称で親しまれる。アイアンマン・トライアスリート。
https://www.on-running.com/ja-jp