メデジン

社会的災害からの復興。世界で最も危険な街「コムナ13」の再生ストーリー

標高1,500mの盆地にあるコロンビア第2の都市メデジン。過ごしやすい常春の都市は、かつて世界で最も危険な都市と言われていました。なかでもスラム街だったComuna13(コムナ13)は、悲惨な麻薬戦争の時代を体験します。自然災害ではなく、社会的災害からの復興を遂げたコムナ13の再生の物語を紐といてみたいと思います。

コムナ13は、郊外から流入した人々が築いた違法なスラム街として形作られました。メデジンの急な丘陵地にレンガ造りの粗末な家が密集し、基本的なインフラがないだけでなく、警察の支援も受けられない地域となりました。

都市から疎外されたコムナ13は、1980年代から90年代にかけて麻薬カルテルの拠点になり、メデジンで最も危険な場所となりました。メデジン・カルテルと対立するギャング、ゲリラ反乱軍、過激派部隊、政府の間の麻薬戦争に巻き込まれ、街では連日のように流血騒ぎが続いていました。

コロンビア政府は2002年、コムナ13に拠点を置くカルテルとゲリラグループを追放し、荒廃した街の支配権を取り戻すための作戦を成功させます。メデジン市は、2000年代から住民主導の市政による改革を次々と断行。2004年には、ロープウェイ「メトロカブレ」が開業し、スラム街のある山沿いからメデジン中心部への移動時間は2時間から20分ほどに短縮されました。

現在のメデジンは、コロンビアで最も活気に満ち、文化的にも豊かな都市となりました。「世界で最も危険な都市」と呼ばれてからわずか25年で、Wall Street Journalから「世界で最も革新的な都市」の称号を授与されたことは、その目覚ましい変貌ぶりを物語っています。

コムナ13は貧困率と犯罪率を南米最低レベルまで改善し、教育と医療などの社会サービスが充実するカラフルな街に生まれ変わりました。銃弾にまみれた通りには、遊び好きな子供たちや果てしなく続くストリートアートが光を放ち、ギャングや麻薬王が街を支配していた時代からの劇的な変化を象徴しています。

コムナ13の数多くのストリートアートは、暗かった街の景観を向上させただけでなく、地元の人々がコミュニティのストーリーを共有し、明るい未来への希望を広めるための創造性のシンボルとなっています。若い住民は、ギャングに入る代わりに、アートやミュージックのようなクリエイティブ分野で情熱を育んでいます。若いヒップホップダンサーのグループが小さな広場でパフォーマンスをしたり、ラッパーが見物客に向けて、テンポの速いリリックを吐いている光景を目にすることができます。

このようなコムナ13の取り組みは、メデジン周辺のまだ貧しい街で生き延びるために、ギャングに入ったり、軽犯罪に手を染めてしまう可能性のある若者たちを、コミュニティに巻き込む方法です。地元のアーティストとの交流は、旅行者と活気に満ちた文化を世界に発信したいと願う住民にとって、コムナ13を体験する上で最も重要なことです。

コムナ13のもう一つのシンボルとなっているのが、2011年に運転を開始した丘を登っていく長い屋外エスカレーターです。これまで住民が都心から自宅にたどり着くためには、28階分の階段を登らなければならなかったのが、この384mの公共エスカレーターでたった6分に短縮されました。エスカレーターは、多くの都市居住者を丘の上に移動させ、何千人もの観光客を街に引き寄せています。

丘の上に位置するコムナ13は、メデジンで最高の眺望を誇ります。晴れた日には、眼下にメデジンの街並みが広がり、丘の斜面にレンガ造りの家々が立ち並んでいるのを一望できます。

コムナ13は、一人で見て回ることもできますが、ガイド付きツアーを選ぶのがお勧めです。ガイドツアーは、この街の変貌とストリートアートの意味するところを学べるだけでなく、地元の人々が街の尊厳の回復のために努力していることを応援する最適な方法なのです。ツアーガイドの多くはコムナ13で育ち、現在も住んでいるので、8ドルほどのガイドチップを払うことで、地元のコミュニティに直接的な支援を提供できます。

かつては政治的に不安定な国だったために、旅行者に敬遠されていたコロンビアですが、今ではラテンアメリカで最も人気のある旅行先の一つとなっています。旅行者は、コムナ13を訪れることで、コロンビアに対する印象が大きく変わることでしょう。

コムナ13は、血に塗られた暗い過去から劇的に再生した街であり、未来に明るく楽観的であり続けるコミュニティの力強い精神に支えられています。住民自らが団結して、絶望的な社会的災害から復興を遂げた希望の物語がそこにあります。

Via:
brookearoundtown.com