ローカルキーマン

まちづくり2021.01.26

日ノ出町

変化することを恐れない。優しく住みやすい街となった日ノ出町で生きる。

小林紙工株式会社 取締役専務小林直樹さん

スターティング オーバー。

日ノ出町には、まるでジョン・レノンの歌のように、「再出発」を宣言した歴史がある。一時的に悪化した治安を良くすべく立ち上がった市民たちのおかげで街は変わり、以来、加速度的に暮らしやすい街へと変化した。

その日ノ出町で生まれ育ち、「次世代のキーパーソン」と呼ばれる人がいる。大正時代から続く包装資材の商社、小林紙工の小林直樹さんだ。人生を通して見てきた日ノ出町の変化と、世代を超えて未来へ向かう街づくりについて思うことを聞いた。

この街をつくるひとりとして

「祖父が創業したのが大正15年。当時の伊勢佐木町は横浜の中心地といわれるほど賑わっていたそうです。百貨店も多く、風呂敷を入れる箱を中心とした箱パッケージを製造販売していましたので、当時からうちのお客さんはご商売をしている方々が多かったそうです。わたしは3代目として、5年前に取締役専務になりました。

今でもいろんな地域の活動に関わらせてもらっていますが、街づくりの初めは青年会に入ったことですね。日ノ出町青年会は、一般的な町内会の下部組織のような青年「部」とは違って、独立したものなんです。身近なもの同士、どうしたってなあなあになりやすいことも多いので、わたしが入ってからは少しずつ組織らしくなるように変えていきました。近隣の町の青年部をつなげたり、青年会の会長が部長として町内会の事業を運営したり、それまで曖昧になることが多かった役割を分担して、それぞれの仕事をLINEで共有出来るような形に。

地域にとって、祭りや行事は重要ですから、夏の祭りやお正月など年間で色んな活動をして、最終的に青年会の会長まで務めました。また、日ノ出町だけではなく、野毛の街づくりにも組織内から関わって、父親達が立ち上げた野毛地区振興事業協同組合も、引き継ぐような感じで入りましたね。みなとみらい線の計画が持ち上がり、それまで野毛に来る人たちが使っていた東急東横線の駅がなくなってしまうというんです。駅がなくなるなんて、街の商売にとっては大変なことですから、東急側と色んな話し合いの機会が必要になり、その時に作られた団体です。

野毛地区の振興策として始まったことの一つが「野毛トラスト制度」と呼ばれるものでした。東急の支援、横浜市の協力によって街の再開発や整備事業、イベント運営などが支えられてきました。全国から来訪者が来るようになった「野毛大道芸」もトラストの資金を活用してきましたし、私が委員長を務めた野毛の飲食文化を発信したイベント「野毛フェスタ」などもそうです。河豚のからあげや、三崎で人気の朝市を呼んでマグロの解体ショーなどして野毛の味を楽しんでもらおうと、皆さんに振舞いをしましたね

2013年には、NPO法人の濱橋会(はまはしかい)というのを立ち上げました。まちづくりを推進させて、活気づけていくために、吉田町にある天ぷら登良屋 (とらや)の荒井くんと一緒に始めたんです。街同士をつなげでいこうよ、その橋渡しをしようよ、と話しているうちに、関内関外をつなげる川のことを思って濱橋会という名前にしました。

わたし自身、日ノ出町に拠点がありますし、乗船場となる桜桟橋、よこはま日ノ出桟橋を作る時に関わらせてもらったこともあって、川を使ったイベントをやろうよ、と。濱橋会の初年度から毎年「運河パレード」として、船団パレードや、水上ステージでのパフォーマンス、周辺店舗との協働といったことを開催して、年々本当にたくさんの方がお越しいただけるようになりました。

ちょうど街にも新しく住み始めた方が増え出したりして、このイベントによって地域に入っていくきっかけになればと思ってました。運河パレードは、2019年から「よこはま運河チャレンジ」という呼び方に変えて、より地域や水上交通などに親しんでもらえるようになりました。ただ2020年はコロナ禍となって、一度にたくさんの方を動員するわけにいかなくなったので、動画配信や、期間中に楽しみに来てもらえるスタンプラリーにしたりと、色んな工夫をしつつも開催できて、本当によかったと思っています。

人生を通して見てきた街の「未来」

生まれも育ちも日ノ出町なので、この街の変化はずっと肌で感じてきました。子どもの頃は今よりもお店が多かったですね。卸問屋さんが多くて、全体的に活気づいていた印象があります。時代もあったのかもしれないですけど。

20~30年くらい前は、子どもたちは行っちゃいけないような空気がありましたが、今ではファミリー層が住めるような町になりました。この変化は本当にいい成功事例みたいになっていると思うんです。自分たちで考えて、動いたことが結果にできた、と。おやじたちの代ができたことを、俺たちもやろうよ、という気概になります。

日ノ出町って、すごくいい場所だと思うんですよ。駅は日ノ出町だけじゃなく黄金町駅もすぐだし、桜木町にも歩いて行けるし、川があって、山もあって、学校、図書館、動物園、公園もあるなど、すごく魅力的なところなんです。

以前この辺でマンションができると、日ノ出町ではなく野毛山とかを名前につけていたんですが、これからは堂々と日ノ出町を名乗ったマンションなんかが増えると良いですよね。

かつて日ノ出町の商店主たちが、桜がきれいな時期に「フラワーフェスティバル」というのを開催していました。新しい住人にも参加してもらえるように考えたり、祭りで御輿を担いで仲良くなるような機会にしたりと工夫して、それが年々大きくなって「大岡川桜まつり」になったんです。昨年コロナを機に解散となりましたが、それもまた、かつての小さな地域の祭りに戻せば良いのかもしれない、と思ってます。

やっぱり変化を起こしてきた街ですからね。これからまだまだ高架下の皆さんや、新しくこの街に来た人たちを巻き込んでより良い形に作り直すことにも前向きです。変化に慣れてるということかもしれませんが、工夫してチャレンジすることが大事だと思ってるんです。止めちゃいけないと思うし、新しい生活様式がどうなるか誰にもわかりませんから、変化に合わせて知恵をしぼることに意義があると思うんです。

アートが定着して、川に活気が出て、そして少しずつ飲食店が賑わってくれる街として、これからも進めていきたいです。スポーツやアウトドアの要素が増えたり、アクティビティのあとでくつろげる空間が増えたら嬉しいですね。
言ってみれば日ノ出町は、長い街の歴史の中で一度こわれて(笑)、そのおかげで何でもできる街になった気もします。もっと新しい文化が入ってきたら良いですね。

取材・文/やなぎさわまどか

小林紙工株式会社 取締役専務小林直樹さん

よこはま都心部水上交通実行委員会 委員長 /NPO法人濱橋会 顧問
日ノ出町町内会副会長/野毛地区振興事業協同組合副理事長
日ノ出町で生まれ育つ。日ノ出町青年会 会長、よこはま都心部水上交通実行委員会 委員長などを務め、まちづくりを行う。