ビルバオ

「ビルバオ効果」はコピー不能?ビルバオ・グッゲンハイム美術館が都市を変えた軌跡

スペイン北部のバスク州にあるビルバオの都市再生モデルは、「ビルバオ効果」として世界の都市再開発プロジェクトの中で最も成功した事例の一つとされています。造船と鉄鋼業が衰退した街は、ビルバオ・グッゲンハイム美術館を中心とするアートによる大規模プロジェクトで見事に再生を遂げました。都市開発者が注目する「ビルバオ効果」の20年の足跡をたどってみたいと思います。

ビルバオ再生の20年をたどる

1980年代、ビルバオの産業である鉄鋼、造船業は衰退の一途をたどっていました。失業率は25%に達し、数十年にわたる反乱の後、川の環境は汚染され、交通渋滞と崩れかけた倉庫のせいで街は荒れ果てていました。

© FMGB, Guggenheim Museum Bilbao via: news.artnet.com

ビルバオ・グッゲンハイム美術館は、1997年にオープンして以来、国内外の人々の想像力をかきたててきました。旅行者にとっては、インスタグラムに投稿できる華麗な現代美術館として、政治家、都市計画者、建築家、美術館のディレクターにとっては、それは荒廃した地域を再生する文化施設の能力を象徴しています。

「ビルバオ効果」は本当なのか?それはどこの都市においても再現できるのか?そのモデルは頻繁に真似されてきたのに、並外れた成功がほとんど再現されなかった理由は何なのか? artnet.com がビルバオ・グッゲンハイム美術館の20年以上の歴史を、ソロモン・R・グッゲンハイム財団へのインタビューを含め振り返って分析しています。

ビルバオの再生の始まり

ビルバオ・グッゲンハイム美術館は、ニューヨークのグッゲンハイム美術館と、ビルバオ市およびバスク地方の政府とのパートナーシップの結果として誕生しました。このプロジェクトは、グッゲンハイムの野心的なディレクター、トーマス・クレンスが中心となって立案されました。

1991年、ビルバオにグッゲンハイム美術館を建設することが合意されました。バスク州政府が建設費1億ドルを負担し、美術品の新規取得費用4450万ドルをソロモン・R・グッゲンハイム財団に支給するもので、立ち上げ費用は約2億3000万ドル(約240億円)に上りました。膨大なコストのようですが、当時のバスク文化大臣のジョゼバ・アレイジが述べたように、その金額は新しい高速道路の1キロの建設費用に満たないものでした。

© FMGB, Guggenheim Museum Bilbao via: news.artnet.com

ビルバオ・グッゲンハイム美術館がオープンしてからの数年間で、その成果は眼を見張るものとなりました。最初の3年間で、人口35万人の一地方都市に400万人が訪れており、観光客は美術館建設前の20倍に膨れ上がりました。このプロジェクトとその波及効果により、5000人以上の地元雇用が創出され、6億5000万ユーロの追加収入がバスクの財務省にもたらされました。美術館の年間の入場者数は100万人を超え、バスク州政府は負担した建設投資額を3年間で回収できました。

グッゲンハイム財団の現ディレクターであるリチャード・アームストロングは、ビルバオ・グッゲンハイム美術館は、部外者の街に対する考え方だけでなく、街自身に対する考え方も変えたと語っています。「ビルバオ・グッゲンハイム美術館の大きな成功は、視覚芸術が都市の文化的な訪問者を惹きつけ、同時に都市の心理をポジティブに変化させることができることを実証したことです。1990年代には、街へのアクセスは不便で、雰囲気は内向きで、外国人観光客にとって親しみやすい街ではありませんでした」

懐疑論からブランド確立へ

ジェフ・クーンズ『Puppy』 via: guggenheim-bilbao.eus

オープン前には、特にニューヨークにおいて、このプロジェクトに懐疑的な見方が広がっていました。現在はサンフランシスコ美術館の館長を務め、当時グッゲンハイムの若いスタッフだったオーストリア生まれのキュレーター、マックス・ホラインはこう振り返ります。「オープンの3年前、この施設が成功すると思っていた人はほとんどいませんでした。管理委員会、メディア、新しい建築シーンの人々の中には多くの否定派がいましたが、トーマス・クレンスは我関せずとその道を歩み続けました」

美術館の完成が近づくにつれ、世論が変わり始めました。開館1カ月前、ニューヨーク・タイムズ紙の建築評論家ハーバート・ムシャンの記事が「ビルバオの奇跡」という見出しで掲載されました。「ここで起こっている奇跡は、驚くべきことにゲーリーの建築が起こしたものではない。奇跡的な出来事とは、建設を見るためだけに巡礼の旅を行う、人々の贅沢な楽観主義なのである」と書いています。

しかし、あまり魅了されていない人々もいました。2005年には、グッゲンハイムの元講師ポール・ワーナーが『Museum, Inc.(株式会社美術館)』と題した批判的な本を出版しました。この本では、グッゲンハイムを含む主要な文化機関が知的使命を捨てて、より企業の立場で行動していると非難しています。

しかし、ホラインにとっては、グッゲンハイムは建築だけでなく、美術館学においても大胆な新しい選択肢を模索していたのです。「ビルバオは、建築がいかに独創的で挑戦的であるかを示し、美術館が達成しようとしていることに変化をもたらしました。来館者だけでなく、専門家も、美術館をもっとポジティブな意味で理解するようになりました。それは、保管庫としての美術館から、総合的な美術館コンセプトへの変容でした」と彼は語っています。

リチャード・セラ『The Matter of Time』 © Richard Serra/Arts Rights Society via: news.artnet.com

それはまた、ホラインが言うところの「信頼性の創造者」、つまり他の人がブランドと呼ぶものとして、美術館が自らを活用する能力を示していました。この点は、V&A、スミソニアン、ポンピドゥー、ルーヴルなど、国際的なブランドの拡大に取り組んできた美術館において同様に見られるものです。

「グッゲンハイムは、ある種の美術館のイデオロギーを象徴するブランドがあることに気づきました。当時のグッゲンハイムの功績の一つは、ヨーロッパでの認知を一変させたことで、グッゲンハイムは世界で最も優れたブランドの一つとみなされるようになりました」とホラインは述べています。アームストロングも同意見です。「それ以前は、私たちはベニスに美しいスペースを持つ、アメリカの小さなブランドに過ぎませんでした」

「ビルバオ効果」は再現不能?

ビルバオ以来、世界各地で美術館のオープンや大規模な増築が相次ぎ、著名な建築家を雇い、観光や再生、あるいはその他の社会的課題の解決が推進されてきました。その中には、サンティアゴ・カラトラバのミルウォーキー美術館、フランク・ゲーリーのドイツのMARTa HerfordとパリのLVMH美術館、ダニエル・リベスキンドのデンバー美術館の増築、ザハ・ハディッドのローマのMaXXI、ピーター・クックとコリン・フルニエのKunsthaus Grazなどが挙げられます。

多くの人は、自分たちの地元の独自の状況を強調して、ビルバオのコピーを否定します。しかし、ニューヨーク近代美術館の建築学芸員、マルティーノ・スティエリは、これに異議を唱えます。「ビルバオとグッゲンハイムは、脱工業化社会で人々が求めているのは、写真を通してマーケティング可能な、建築体験の文化的グローバルツーリズムであることに気付いたのです。そして、技術革新、CADによる設計、貴重な建築材料を使用した美術館はまたたく間に成功し、多くの美術館のモデルとなりました。形式的ではなくても、コンセプト的には間違いなく『ビルバオ効果』のモデルは数多くコピーされています」

過去30年間のブームの中で建設された美術館の多くは、確かに成功を収めていますが、ビルバオに並ぶ国際的な知名度を達成したものはありません。そして、いくつかのケースは困難に苛まれています。サンティアゴ・カラトラバが設計したバレンシアの芸術科学都市は、3億ユーロの予算を約10億ユーロ(約1200億円)オーバーし、そのコストは今日でも地域の予算に影響を与えています。脱工業化が進んだアビレス地方では、オスカー・ニーマイヤー設計の美術館も苦戦を強いられており、2011年には一時閉鎖されたこともありました。サンタンデールにある8000万ユーロ(約100億円)を投じたレンゾ・ピアノ設計のスペイン北部の最新の美術館、BOTÍNセンターの開発チームは、「ビルバオのようなアイコンを造ろうとしているわけではない」と声高に主張します。

BOTÍNセンター © Centro Botín via: news.artnet.com

一方で、グッゲンハイム自身も、このモデルを再現することが難しいことは身にしみてわかっています。ソーホー、ベルリン、ラスベガスの分館は閉鎖され、ヘルシンキの新拠点の野心的な計画は地方政治に巻き込まれ、昨年断念されました。台湾からグアダラハラまでの都市での実現可能性調査は何の成果もなく、野心的なグッゲンハイム・アブダビも未だ着工されていません。

ロンドンとニューヨークに拠点を置くAEAコンサルティング会社の創設ディレクターである文化コンサルタントのエイドリアン・エリスにとって、ビルバオは稀有な存在です。地元当局は、美術館のみで街を一変させることは想定しておらず、新しいビジネスやスタディ、インフラ基盤への大規模な投資が継続的に実行されました。

ビルバオ・グッゲンハイム美術館の完成の後、ビルバオではネルビオン川沿いを中心に再開発が進みました。サンティアゴ・カラトラバ設計のズビズリ橋、ノーマン・フォスター設計のメトロ駅、トラムの開業、フィリップ・スタルク、ラファエル・モネオらによる大規模な市民ビルなどの事業が続きました。ソロサウレ(Zorrotzaurre)の廃墟となった工業ビル群は、故ザハ・ハディッドのマスタープランのもとで、再開発が予定されている最新のエリアとなっています。

© FMGB, Guggenheim Museum Bilbao via: news.artnet.com

「ビルバオ・グッゲンハイム美術館は、観光主導の戦略で街全体を再生させようという試みの一環でした。美術館は、交通機関やホテルを含む、より広範な都市計画に統合されており、ロンドンやパリ、ベルリンのような都市に住む何百万人もの富裕層や中産階級の人々が、格安航空券で2時間以内にアクセスできる恰好のロケーションにあります」とエリスは言います。

ビルバオ・グッゲンハイム美術館は、その奇抜さと文化資産を有効に活用してきました。ニューヨークやフランクフルトのシュテーデルのような他の機関から世界的な展覧会を開催し、ロバート・ラウシェンバーグ、ゲオルク・バーゼリッツ、アンゼルム・キーファーなどの芸術家による傑作を満載したコレクションを構築してきました。何よりも重要なことは、その野心を刺激するための継続的な政府の支援があることです。2014年12月、ニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム美術館とのパートナーシップはさらに20年間延長されました。

© Ernesto Neto via: news.artnet.com

ビルバオは、国際的に認められたアイコンとなった最初の近代的な文化的建造物ではありません。1950年代の終わりに経済的・文化的な楽観主義の中、オーストラリアのシドニーは、20世紀に建設された最も有名な芸術的建築物となるシドニー・オペラハウスの建設に着手しました。しかし1973年にオープンした時には時代は変わり、その象徴的な地位にもかかわらず、二度と同じことが繰り返されることはありませんでした。

同様に、ビルバオ・グッゲンハイム美術館も、自由市場資本主義、グローバリズム、文化の国際化の恩恵が自明のことのように思われた時代の産物であり、公的機関が30年以上の歳月をかけて投資することを厭わなかった都市にありました。

今日のナショナリズムの高まり、10年近くの緊縮財政や政情不安により、それは繰り返すことの難しい偉業かもしれません。政府は安定しておらず、長期的な展望も乏しく、高価な文化的建造物を資金不足の地域住民に提供するのは不可能に見えます。シドニーから一世代後のビルバオは、1990年代の外向きの進歩的で国際的なエネルギーを象徴する、時代の記念碑となってしまうのでしょうか。

グッゲンハイム・アブダビ via: dezeen.com

ソロモン・R・グッゲンハイム財団のディレクター、リチャード・アームストロングによると、グッゲンハイム・アブダビは、2023年に開館する予定とのことです。フランク・ゲーリーが設計した、約3万平米のスペースを持つグッゲンハイム・アブダビは、草間彌生やラリー・ベルなど1960年代以降の収蔵品で構成される予定です。