ミュンスター

住民の反発から誇りへ。地方都市を有名にしたミュンスター彫刻プロジェクト

ブルース・ナウマン『Square Depression』 via: landezine.com

現代アートは、鑑賞者に問題意識を提起することを存在意義の一つとしています。特に街の公共空間に、突然見知らぬアートが出現した場合、住民はその場所の歴史や価値を再認識できるようになるかもしれません。一方、見慣れた景観が変容することに対して、アレルギーのような反発を覚える人もいるかもしれません。今回は、住民と現代アートの相克が世界的なアートイベントの成功につながった、ドイツのミュンスター彫刻プロジェクトの例を見ていきたいと思います。

ミュンスター彫刻プロジェクトとは?

ブルース・ナウマン『Square Depression』 via: skulptur-projekte-archiv.de

ミュンスター彫刻プロジェクト(Skulptur Projekte Münster)は、ドイツ北西部ヴェストファーレン州ミュンスターで10年ごとに開催されている、公共空間を舞台にした彫刻や現代美術のパブリックアートイベントです。

1977年から10年ごとに開催されているこの100日間のアートイベントは、ドイツのカッセルで5年に一度行われる現代美術のグループ展「ドクメンタ(documenta)」と同時開催されています。招待された国際的なアーティストの作品が街中の様々な場所で無料で展示され、公共の場所とアートが対峙します。毎回の展示の後、市は展示された作品のいくつかを購入し、街の景観の一部として恒久的に設置されています。

アートプロジェクトでは、キュレーターチームが国際的に著名なアーティストをミュンスターの都市空間に招き、各アーティストは街の中の場所を選び、場所との関係性を念頭に置いて作品を制作します。市外からの訪問者は、ミュンスターの街を探索しながら、様々なアートを鑑賞することが体験できます。

市民の現代アートへの反発が出発点

ミュンスター彫刻プロジェクトの歴史は、1970年代にジョージ・リッキーがミュンスターにキネティック彫刻『3つの回転する正方形』を設置したことに端を発しています。当時、市がこの作品を大金をはたいて購入することに対して、市民の間で大きな反発が起きました。

この不満を解消し、都市空間における芸術への理解を深めるため、クラウス・バスマン(ヴェストファーレン美術館長)とカスパー・ケーニッヒ(ルートヴィヒ美術館学芸員)がプロジェクトの発起人となり、ミュンスター彫刻プロジェクトの構想が生まれました。後年にも、いくつかの展示作品への反対運動が起こりましたが、回を重ねるごとにアートと都市環境の関係は改善されていきました。現在、ミュンスター市民は、このプロジェクトの存在を誇りに思うようになり、この小さな大学都市に経済的な利益をもたらしていることを理解しています。

アートイベントによるインバウンド

1987年に開催された第2回のイベント以来、アートイベントはミュンスター市の国際的な評価に貢献しています。これは、当時実施された強力な広告キャンペーンによるものです。アメリカからアジアまで幅広くジャーナリストを招待しただけでなく、ドクメンタ8のためにカッセルに広告車両を送り、後にアートバーゼルのアートフェアにも参加しました。

3回目となる1997年のイベントには、25カ国のアーティストの作品を見るために、50万人以上がミュンスターを訪れました。ドイツ人よりも外国人のゲストが多く来場し、オープニング週末には市内のすべてのホテルが満室になりました。

市民とアートイベントとの関わり

ドナルド・ジャッド『無題』 via: commons.wikimedia.org

ミュンスター市民とアートイベントとの関係は、年々変化してきました。当初、多くの市民は、当時としては目新しかった現代アートの作品やコンセプトが、歴史的な街の景観を汚すものであると感じていました。時には、アーティストが警察の保護のもとでしか制作ができないという危険な事態にまで及んでいました。

1977年の初回〜1987年の2回目のイベントの間には、市民のネガティブな態度にあまり変化は見られませんでした。市民の作品に対する破壊行為も度々発生しました。1977年にはクレス・オルデンバーグの『Giant Pool Balls』が湖の中に転げ落とされ、1987年には黄色く塗られたルルドの聖母像の等身大レプリカが何度も攻撃を受けました。また、歴史的建造物を現代的な視点から見ることを可能にしたリチャード・セラの傑作『幹』は、ミュンスター市民に受け入れられなかったため、作品はミュンスターに残ることはありませんでした。

クレス・オルデンバーグ『Giant Pool Balls』 via: commons.wikimedia.org

1997年の3回目のイベントまでの10年間で、ミュンスター市民とアートイベントとの関係は、かなり改善されていました。マスメディアがイベントを肯定的に報道したり、国際的な名声を確立していたドクメンタと比較されるようになったことで、アートイベントには多くの観光客が訪れ、ミュンスターの経済にも大きく貢献するようになっていました。1977年の『Giant Pool Balls』が街のトレードマークとなり、他の彫刻アートもすでに街並みの一部と化していたことで、住民が自然に現代アートを受け入れることが可能になったのかもしれません。

恒久コレクション

ミュンスターでは、冒頭のブルース・ナウマンの広大な作品『Square Depression』や、1977年展示のクレス・オルデンバーグ『Giant Pool Balls』、ドナルド・ジャッド『無題』のほか、数多くの展示作品がミュンスター市やヴェストファーレン美術館に買い取られ、恒久コレクションとして街の様々な場所に設置されています。

ダン・グラハム『Octagon for Münster』(1987年) via: skulptur-projekte-archiv.de

ダン・グラハムは宮殿の庭園内に八角形のパビリオンを建設しました。この作品は、バロック時代以降、公園や宮殿の敷地内に設置されていた、社交場や祝祭の場としての「プレジャー・パビリオン」の伝統に由来しています。

双方向にミラーリングされたガラスを用いて、グラハムは宮殿公園の近くにある銀行のオフィスビルのファサードを参照し、その建築を視覚的に消滅させました。パビリオンの片側がドアとして機能し、訪問者は建物内部に足を踏み入れることができます。パビリオン内の人々は壁の反射材によって完全に外部からの視線が遮られ、内部からは鏡面ガラスで外界が歪んで見えます。

リチャード・タトル『Art and Music』(1987年) via: skulptur-projekte-archiv.de

リチャード・タトルは、同じ形をベースに、2つの『Art and Music』オブジェを作りました。一つは正面から見た形で、もう一つは横から見た形です。

アポストロフィや耳の形を連想させるような『Art and Music』は、大聖堂広場のやや隠れた場所に設置されました。ポスト・ミニマリストであるタトルの場所の選択は、作品が空間の余白をさりげなく占めることを好んでいます。『Art and Music』は、壁に貼られたポスターや落書き、音楽や道行く人の声など、視覚的・聴覚的な印象が溢れている、そんなありふれた都市環境の中にあります。

ダニエル・ビュラン『4 Gateways』(1987年) via: skulptur-projekte-archiv.de

ダニエル・ビュランは、大聖堂広場へのアクセスポイントとなる4つの場所にストライプ模様のオブジェを設置し、抽象的な方法で門の形を表現しました。このインスタレーションは、かつて街を神の領域と世俗の領域に分けた、この場所にあった教会の壁に関連しています。ビュランは一つのゲートウェイをミュンスター市に寄贈し、2016年から恒久的に設置されています。

ホルヘ・パルド『Pier』(1997年) via: commons.wikimedia.org

パルドの桟橋は、周囲の環境に溶け込む日本の庭園建築を彷彿とさせるミニマルなデザインとなっています。桟橋の長い道のりでは、ゆっくりと時間をかけて熟考したり、海と街の景色をくつろいで楽しむことができます。

オスカー・トゥアゾン『Burn the Formwork』(2017年) via: skulptur-projekte-archiv.de

オスカー・トゥアゾンの建築と重なり合う彫刻作品は、木、コンクリート、鉄などの製造過程の痕跡や、素材の疲労の痕跡が見られるなど、荒々しい素材感が特徴的です。ミュンスターでは、トゥアゾンは、運河沿いの工業地帯の荒れ地にコンクリート製のオブジェを設置しました。暖炉と一体化した煙突のような柱が作品の焦点となっている円筒形の彫刻は、バーベキューをしたり、暖を取ったり、見晴らし台として使うことができます。建築に使用された木の板の小さな部分は、取り外して燃やすことができます。

この熱を発する彫刻は、規制された都市空間の中にある公的な建築物として、規制を免れたコミュニティの活動参加の形を示唆しています。