スペシャル対談

アート2022.03.29

横浜

横浜のカルチャーを引き継ぐ。まちを再認識し、次へ伝えるバトン。

Gallery+Sushiあまね店主田口竜太郎さん

フィールズプランニング主宰笠原彰二さん

人がいるから、文化が生まれる。しかし、文化を伝え、引き継ぐ人たちがいなければ、後世に繋ぐことはできない。
これまで、横浜ではさまざまな文化が生まれ、その中からまた新たな広がりも見せてきた。文化をどのように地域が育み、伝えていくのか。

そんな文化の継承と発信に大きく関わるGallery+Sushiあまねの店主・田口竜太郎さんと、フィールズプランニング主宰の笠原ショージさんにお話を聞いた。

それぞれの「表現者」としての在り方

左から、田口さん、笠原さん

――まず、おふたりがされている活動について教えていただけますか。

田口:Gallery+Sushi三郎寿司あまね(現在はGallery+Sushiあまね。以下あまね)を元町にオープンしたのは2018年です。あまねはギャラリーの中に寿司スタンドがあるお店です。店内では常に展示を行っていて、元町を通る人たちにアートを訴えかけながら、気軽に寿司を楽しんでもらいたいと思っています。

あまねの楽しみ方は人それぞれです。お寿司を待っている間に絵が気になって、人生で初めて絵を買ってみたという人もいますし、逆に展示を観に来た人がお寿司を食べて帰って行くことも。作家さんやそのお友達も在廊しやすいなど、相乗効果はかなりあると思います。

笠原:最初、あまねができたときは、「よくぞこの元町のど真ん中でやってくれた!」と嬉しくなりましたね。あまねは、地域や住民とアートの交わりのひとつのお手本だと思うんです。展覧会会場ではなく、街の中で、たまたま立ち寄った人たち同士の交流が生まれていくあまねの在り方はまさにアートの求める姿だなと感じます。

笠原:私はイベントの企画制作を12、3年ほどやっています。もともとは20代前半ぐらいからずっと音楽をやっていました。

転機になったのは、ある音楽イベントに関わるようになったことからです。聴覚障害がある方に向けて、振動で音楽を届けよう、という内容のイベントでした。例えばピアノの音ひとつとっても、生まれつき耳が聞こえない方は「ピアノってこんな音なんだ!」という新たな発見になったり、後天性の方は「久しぶりにピアノの音が聞こえた!」と涙を流したり……。このイベントを経て、音楽が社会の人たちのために役立つということが身近に感じられたんです。それから、一般の人たちに向けた“音”を使った活動が増えていきましたね。

アートの感じ方は人それぞれなので正解がありません。いろんな人と共有したり、意見を話し合ったりする場が面白いので、そういう環境を作っていきたいという思いも生まれました。

自分が思い描くものを起点に、自分で企画を作っていろんな人と交わりながらやってきました。今はありがたいことに地域からのニーズが多くて、地域と連携したイベント企画制作が定着していますね。

田口:笠原さんはすごくフットワークが軽い方ですよね。ご自身の主催でなくても様々なイベントに行っていらっしゃるし、いろんな人と交流を持っていて、先輩としても素晴らしいなと思います。

特にいまのコロナ禍では、自分で動きだすかどうかで状況は変わってきますよね。僕もなるべく動けるときに動こう、という意識はしてはいますが、まだまだ見習わないといけません。

横浜の良さは「カオス」?

――おふたりとも横浜ご出身ですが、横浜にはどういう印象を持たれていますか?

笠原:横浜は、いろんな街がギュッと集まっているところがおもしろいですよね。

例えば、元町のようなファッション街から少し先を行くと、下町の雰囲気が残るエリアや、庶民の台所の横浜橋商店街がある。東京で言うと、山手線沿いの街をギュッとひとつにまとめたような、カオスと言っていいほどの密接度がありますよね。

だからこそ人とのふれあいもすごく多い。初めて会った人とも、当たり前のように共通の友人やコミュニティがありますよね。
まだまだ気づいていないだけで、個性ある地域もたくさんあるはず。そういう地域の特徴をうまく取り入れた企画はやっぱりおもしろいです。

田口:横浜の、文化や地域性がミクスチャーな感じはおもしろいですよね。

笠原:中区、南区なんかは外国人の比率も高くなっているのを考えると、横浜はこの狭さがいいんだよね。広がっていくと東京っぽくなっていく。別に東京と比べようなんて誰も思ってないし、それが横浜の人たちの気質というか。のんびりしている人たちばかりです。

――そんな横浜で活動されているわけですが、その中で大切にしてきたこと、意識してきたことはありますか?

田口:常に新しいことに取り組むよりも、長い目で見たときに多様性がある発信をしていきたいと思っています。

僕が生まれたとき、実家の寿司屋は元町ではなく中華街にあったんです。当時の中華街は、夜中の2時や3時でも平気で人が歩いていて、父も早朝まで寿司屋をやっていたほど。そういう時代だから、子どもたちも店の前で夜まで遊んでいたんです。その時一緒に遊んでいた友達は、みんな国籍はバラバラでした。僕はお寿司屋さんの息子で日本人だし、焼肉屋さんの子どもは韓国人とか。小学校も中国、韓国、欧米出身の子どもがたくさんいました。中学高校にあがったら、インターナショナルスクールに通っている子たちとも仲良くなって、相手がどこの出身かなんて考えることもない状態で育ってきたんです。

もともと、横浜は洋風文化が入ってくるのも早くて、そういった和洋折衷的な、いろんなものがミックスしてみるのが好きなのかな。横浜は人もお店も、多様な国籍や文化が混在している中に楽しさがあって、どれがいいかと聞かれたら全部いいんです。だからこそ発信の仕方も、一辺倒で同じものをやるより、誰かの心に届くように色々やってみるほうがいいと思っています。横浜の人たちが見たことがないような展示をやって化学反応を与えてみようだとか。

そう意識すると、毎回展示のたびに客層が変わるんですよね。そのたびに僕も勉強になるし、自分のエネルギーにもなる。自分も吸収して、みんなに喜んでもらえるように発信する力にしていきたいですよね。

笠原:私も近いところですが……根岸の森林公園競馬場というところのすぐ裏のあたりで育ったので、子どものころから毎日米軍居住地に入って遊んでいたから、外国人が身近なんです。一緒に遊ぶこともあれば、ケンカすることもある。その日常って今考えるとすごく特別な環境だったと思うので、できればそういう面白さは形として残していったり、伝えていったりはしたいですよね。

カルチャーを発信すること、引き継ぐこと

――文化を発信したり、次の世代に引き継いでいくという点で、意識されていることがあったらお聞きしたいです。

笠原:街を再認識してほしいという気持ちが強いです。自分の街の歴史がどうだったのか、知らない人は多いですよね。でも、自分の街を振り返って面白がってみることは、文化が繋がっていくために大切なことだと思うんです。だからこそ、単に歴史をアカデミックに伝えるのではなく、もう一度街の要素を紐解くようにコンテンツの端々に入れ込んでみる。直接的ではない形で、気づいてもらい、日常を楽しんでもらう。

そうやって様々なイベントを通じて、物事のイメージを変えたり、心に残ってくれるといいなと思っています。

横浜は色々な文化の発信源があるのにも関わらず、それを上手く活用していないのはやっぱり少し寂しいことですよね。自分の街をもう一度掘り下げて、再確認をすることで、自分が街とどう付き合うか、何ができるのか、街をどういう形にしていきたいか、体感しながら考えていきたいです。

田口:「街の再認識」って良いですね。僕は2021年、ミナトノアートという新しいアートフェスを開催させてもらいました。ミナトノアートは、横浜の各エリアにあるギャラリー、ショップ、百貨店など約80会場で実施するプログラムを回遊することで、横浜の魅力を再発掘することを目的にしたものでした。僕がいつまでやるかわからないけれど、ミナトノアートが何年も続いていくなら、若い人にどんどん引き継いでいきたいです。

僕らの世代では、次の世代の人たちが楽しめるように、という献身的な風潮があります。いま、ちょうど自分たちの子ども世代が20歳ぐらいなんです。小さいときから可愛がっていた子と一緒に酒を飲んだりすると、持続可能な社会を作りたいと改めて思いますよね。親心として、次の時代を良くしていきたい、という気持ちが世間的に強まってきているんじゃないかな。

幼いころにあった文化がなくなりつつある、ということは、僕自身若い人たちと話している中で実感しています。笠原さんもおっしゃっていたように、これまでの横浜の文化を残しつつ、新しいことを発信したり可能性を見出すことで、若い世代が文化に出会えるような基盤を作らなきゃいけない。それが一番大事な取り組みだと思っています。もちろん、ご年配の方々の気持ちも僕らが受けて、引き継いでいかなきゃいけない。

今は、何をするにも難しい時代だと思うんです。でも、逆に言うと失敗して当たり前だから、もっと挑戦的に実験していきたいですね。

――横浜以外に拠点を、と考えられたことはありませんか?

田口:今のところはないです。横浜以外だったら、店も持っていなかったかもしれません。かと言ってこだわりや執着心はないんです。ただ、やるからには横浜で勝負したいですね。

笠原:僕はどちらかと言うと逆ですね。横浜で自分のスキルやノウハウを上げて色々と実績を残して、今度は同じことを他の地域でやってみたいんです。もちろん、地域性も全く違うので、その街らしい何かを仕掛けていくことになりますね。でも大袈裟かもしれないけれど、横浜発祥のモデルケースが全国的に広がっていって、日本全体がボトムアップするぐらいのことに繋げていきたいと思っています。

横浜にはまだまだ見つけられていない良さがある

――今後、おふたりが挑戦してみたいことについてをお聞かせください。

田口:僕自身、横浜でまだ行けていない場所がまだまだあるんです。横浜の知られざる魅力を、あまねのある中区から発信することにトライしてみたい。横浜市内での交流を面白がっていきたいんです。例えば、緑区や旭区など離れたエリアのことを中区から発信してみたい。横浜も広いから、もっと様々なことを知っていきたいし、自分が住んでいる街のことをほかの横浜の人たちにも知ってもらいたいです。

横浜市民が横浜の店に行って、そこでアートを買ったり、体験をしたり消費をしたりすることで、その店が潤って横浜市に還元される。横浜市内での消費創出が理想的ですね。横浜という枠組みは大きくて人口も多いから、結構楽しめるんじゃないかな。

笠原:今後はイベントや企画の制作に加えて、都市計画の事業化プランも進めていきたいと思っています。これまで培ったスキルや実績をふまえて、今ポイントになってきているのは「まだあまり活用されず、可能性を秘めた横浜の魅力を伝えること」であると感じますね。例えば、臨海部の活性化に関するものなどに意識が向いています。詳しいことはまだオフレコなんですが(笑)

あとは、さまざまなモバイルアクセスを使って横浜の各所をめぐるマイクロツーリズムを構想しています。例えば、羽田空港からそのままシーバスで大岡川を通って黄金町に着くようなラインを作ってみるのも面白いですよね。横浜市内の運河を利用したモビリティプログラムを数年のうちに組みたいです。

横浜の可能性を探っていくと出来ることはまだまだ山ほどあるので、そこを色々な人たちとああだこうだ、飲みながら話して作っていけたらいいなと思っています。

おふたりがお気に入りの場所

最後におふたりのオススメスポットについて聞いてみました!

田口:黄金町のLaugh Parkというバーが僕のおすすめです。同じ横浜でカルチャーを発信する仲間として、ぜひご紹介させていただきたいです。
(Laugh Parkさんの記事はこちら→https://culture.yokohama/spots/1643/

笠原:僕がよく行くのは、日ノ出町の大岡川沿いのベンチです。近くのコンビニでビールを買って、ぼーっと大岡川を眺めるんです。たまに京急線の電車が走り抜けていったり、夕暮れ時に日がだんだんと落ちていくのをただただ眺めているのが好きですね。月に2〜3回は行っています。

 

文化は、社会の大きな財産だ。守り継がれてきた文化や新たに生まれた文化を、大切に後世に引き継いでいく。引き継ぎ手の強く、熱い意思が、何よりも街を豊かに育てる基盤となっていくのだろう。

Gallery+Sushiあまね店主田口竜太郎さん

学生時代建築を学ぶ。その後、建築や不動産の仕事を経て、築地市場の仲卸業者をやりながら父(横浜元町三郎寿司)に寿司を教わり都内を中心にケータリングの寿司職人として活動。元々アートが好きなだけでなくアーティスト達とも交流があり、アートや音楽等の現場でケータリングで寿司を握る中、アートとの相性が良い事に気付き、2018Gallery+Sushi三郎寿司あまねをオープン。お店は自ら設計デザイン。ギャラリーサイドは100%企画展で運営している。2021年横浜市内中心部約80会場を回るアートイベント『ミナトノアート』の代表幹事を務める。

Gallery+Sushiあまね
公式HP:http://amane.gallery/
Instagram:https://www.instagram.com/gallery_sushi_amane/

フィールズプランニング主宰笠原彰二さん

1962年横浜生まれ。高校卒業後、音楽活動、デザイン業などを経て、1994年より企業イベントのディレクターを務める。2010年、有志とアートスペースnitehi worksを設立し、アート、音楽、映像等のイベント企画を手がける。退社後、ジャズ喫茶ちぐさや様々な地域の企画制作、ディレクター、ビジュアル制作などを請け負うとともに、各種団体と協働したスタイルで文化、芸術、まちづくりなどの推進事業にも携わる。